万太郎とマフラー

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万太郎で、作家でといえば、久保田万太郎でしょうね。
久保田万太郎は、昭和のはじめ。今のNHKの前身、「日本放送協会」の演芸課長だった時代があります。現在とは違って、社員がなかなか出社してこない。暑い夏の日。万太郎は名案を思いつく。
「午前11時までに出社の者三名まで、氷水を進呈」
結局、氷水を食べたのは、万太郎と給仕。後のひとつは、溶けてしまったという。
万太郎は朝は早いが、原稿は遅筆。これも夏、『改造』の三十枚の原稿が仕上がらない。編集者から逃げて逃げて、一日一枚がやっと。鵠沼に逃げ、箱根に逃げ。
ほぼ、三十日かけてやっと三十枚が揃って。編集者は編集長に原稿を渡す。原稿を読んだ編集長の、ひと声。
「みかん船か!」
万太郎の原稿の終りに、「未完」とあったから。
一時期の万太郎は、「傘雨」の俳号を使っていた。やがて万太郎は、「暮雨」に戻した。これを知った伊藤春夢が、万太郎のところに、「傘雨」の俳号を頂きに。伊藤春夢は、浅草の「美家古寿司」の主人だった人物。「傘雨を、下さい」。これに対する万太郎のひと声。
「傘雨はもう捨てたんだ。欲しいなら、勝手に拾って行けよ。」
万太郎の文章に惚れたひとりが、永井龍男。名短篇『青梅雨』は、万太郎の影響から生まれたと、永井龍男は語っています。
永井龍男が、昭和三十九年に発表した短篇に、『襟巻』が。

「襟巻を巻き、ふところ手をしたわたくし自体が、いつどうなりますことやら。」

そんな一行があります。今なら、マフラーでしょうか。
自分好みのマフラーで、万太郎の本を探しに行きましょうか。

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