紅葉とゴールド

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紅葉で、明治の文人でといえば、尾崎紅葉でしょうね。『金色夜叉』はたぶんお読みになっているでしょう。
尾崎紅葉が『金色夜叉』を書きはじめたのが、明治三十年。紅葉、三十歳の時です。
紅葉が生まれたのが、慶應三年十二月十六日。かのベートーヴェンが1770年の12月16の誕生だと考えられていますから。ちょうど九年の開きがあったわけです。
紅葉のお父さんが、尾崎惣蔵。職業は、幇間。幇間は、たいこ持ち。男藝者。藝名、谷齋。いつも緋縮緬の羽織を着ているので、人呼んで「赤羽織の谷齋」。
谷齋は幇間の一方、根付の名人でも。角に細かい彫刻をあしらって、根付に。根付の他にも櫛、簪も。後妻の荒木 庸が十六で嫁いだのも、美しい簪に魅入られたからだったと、想像しているのですが。
もし、そうだとするなら、簪から尾崎紅葉が生まれたとも言えなくもないでしょう。
話は飛ぶのですが。尾崎紅葉はふだんワインを飲んだのか、どうなのか。

「柳之助は其を視ながら壜を引寄せて、コークを抜くと直に口に当支つて…………………。」

紅葉が明治二十九年に書いた『多情多恨』の一節に、そのように出ています。ここでの「壜」は、「葡萄酒」なのです。柳之助に紅葉が投影されているのなら、おそらく紅葉も葡萄酒を飲んだものと思われます。
明治二十九年の『多情多恨』には、「栓」と書いて「コーク」のルビが振ってあるのです。明治には多く「直輸入」ですからむしろ原音に近かったのかも知れませんね。
コルクが出てくるミステリに、『死の贈物』があります。

「普通のワインなら、コルクを抜いて毒を入れることはできるかもしれませんが、シャンペンは………………………」。

これは主任警視の、ヘンリ・ティベットの科白。また、『死の贈物』には、こんな描写も出てきます。

「「高価なローションの匂い、どこもかも金ずくめ ー 金のカフスボタン、金のネクタイピン、金のライター………………」。

ゴールドのカフ・リンクスだけでも、羨ましい限りです。でも、おしゃれの常識としてのジェルリーは、色を統一することになっているのですが。
まあ、好みのカフ・カフ・リンクスで、紅葉の初版本を探しに行くとしましょうか。

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