九一と軍服

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九一は、内田九一のことですよね。内田九一は、幕末の写真師であります。
内田九一は、弘化元年に、長崎に生まれています。弘化元年は西暦の1844年のこと。
内田九一の本名は、重。これで「じゅう」と訓んだらしい。このじゅうを十と解して、九と一。で、「九一」を通称としたのでしょう。
その時代の長崎は西洋文明の唯一の玄関で、そんなことをから最新式の写真術に興味を持ったものと思われます。当時の写真には、多くの、複雑な薬品を混合した。が、内田九一は、一度教えられるとただちにそれを憶えた。少なくともその時代の写真師には向いていたのでしょう。
幕末に、長崎から大坂へ、大坂から江戸へ。江戸からさらに横濱でも、写真館を開いています。横濱では今の馬車道に内田九一の写真館があったという。
でも、内田九一で特筆すべきは、明治天皇のご真影を撮った最初の写真師となったことでありましょう。
それは明治五年四月十二日と、十三日の二日間だったとのことです。ただしこの時のお衣裳は、日本服。明治天皇は、和椅子にお座りになって。
写真でありますから、姿勢を正して頂くことに。そこで、九一は陛下に歩みよって、お顔の位置を直した。その時、側近が叫んだ。「ぶ無礼者!。その時、明治天皇はおっしゃった。

「写真を撮る間は、わが身と雖も彼の手中にある。咎めるな」

この際の写真が縁となって、九一はその後の、天皇行幸のお供として、日本各地の写真を撮ったという。

「午前四時燕尾形ホック掛けの正服を著御し、騎馬にて御出門あらせられる、天皇の該正服を著したまへるは是を以て始とすと云ふ…………………。」

『明治天皇紀』には、そのように出ています。この「燕尾形」には詳しい説明があって。平たく申しますと、黒のウール地。金糸で胸に菊の花の文様が刺繍してあった。背のテイルの部分にはやはり金糸で鳳凰が刺繍されていたそうです。この「燕尾形」は当時としては天皇の軍服という認識だったと思われます。
畏れ多いことではありますが。なにか刺繍ある上着でも着て、写真館で一枚写してもらいたいものですね。

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