吉兵衛は、人の名前にもありますよね。
たとえば、菱川吉兵衛だとか。
今、出し抜けに、「菱川吉兵衛」と言われても、ぴんともきません。
でも、菱川吉兵衛は、菱川師宣の本名なんですね。
菱川師宣なら説明の必要はないでしょう。江戸、元禄期に活躍した絵師。
でも、菱川師宣がいつ生まれたのか。まだ、よく分ってはいません。1620年頃のことではないか、とも。
ただ、現在の千葉、鋸南町、保田に誕生したのは、確かなこと。
今はこの地に「菱川師宣記念館」が建っています。
師宣のお父さんは、菱川吉左衛門。縫箔師(ぬいはくし)だったという。
縫箔師は、着物地の上に金糸銀糸で刺繍を施す職人のこと。
師宣も若い頃には、縫箔のための下絵描きを手伝ったそうですね。
菱川師宣は正保三年(1646年)に江戸に出たと、考えられています。
菱川師宣が多くの美人画を描いているのは、言うまでもありません。また、美人画の草分けだったお方でもあります。
でも、その一方で、文章も書いているんですね。
『江戸雀』。これは当時の江戸の町の案内書。ただ、その頃には、無署名での出版。今では菱川師宣が筆を執ったものだと考えられています。
菱川師宣の代表作に、『見返り美人』があるのは、ご存じの通り。現在は、「東京国立博物館」所蔵の名画。
昭和二十三年には、記念切手の図柄にもなっています。
もし今「見返り美人」の記念切手を持っていたなら、大変な金額になっているでしょう。
菱川師宣は、元禄七年(1674年)に、六十五歳で世を去っています。
『見返り美人』は師宣晩年の作。
これは当時人気のあった歌舞伎役者、上村吉弥をモデルに絵に描いたもの。
「見返り美人」というように、半ば背を向けての姿勢。それがまた悩ましいのですが。これは帯の結目を見せるための工夫でもありました。
「吉弥結」。
上村吉弥がある時、舞台の上で、新しい、ゆったりした、蝶結に。さあ、これが流行りに流行って。
当時の帯の長さと幅とを変えてしまって。
大きく結べるように、長さも長く、幅も広くして。
いわば帯革命。
今に「吉弥結」と呼ばれる由縁であります。
どなたか吉弥結にしたくなるようなネクタイを作って頂けませんでしょうか。
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