ムーンとムートン

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ムーンは、人の姓にもあるんだそうですね。たとえば、サラ・ムーン。サラ・ヴォーンは歌手ですが、サラ・ムーンは写真家。
ブレッソンの随筆集『こころの眼』にも、サラ・ムーンは出てきます。

「ほっそりとした透きとおるような女性だったが、向きあうと確かな存在感がある。」

ブレッソンは、そのように書いています。もちろん、アンリ・カルティエ=ブレッソンが。
アンリ・カルティエ=ブレッソンは、1908年8月22日。巴里郊外の、シャントルーに生まれています。少年の頃のアンリは、画家を目指していたらしい。画家になろうとする一方で、「趣味」としての写真家でも。アンリが十二歳の頃、写真機を構えている一枚が遺っていますから。
ここで面白いのは、アンリは1928年に英國に渡っていること。イギリスの「ケンブリッジ大学」で学ぶために。まあ、留学であり、遊学でもあったのでしょうが。
1932年には、アフリカを経由して、マルセイユに。アンリはマルセイユの街を歩きに歩いた。この時、偶然に出会ったのが、ライカ。1932年以降、七十年に及ぶライカとのつきあいが、ここにはじまるのです。

「私にとってカメラはスケッチブックだ。直感と自発性が操る道具。」

『こころの眼』には、そのように出ています。ブレッソンはかつて画家を捨てて写真家になったからこその発言なのでしょう。
1946年にブレッソンが描いた「スケッチブック」には、サルトルがあります。1946年は、戦争直後の巴里。おそらくセエヌの橋の上に立つサルトル。サルトルはウールのマフラーを巻き、ムートンの裏付きのコオトを着ています。襟にムートンが出ていますから、たぶん毛皮裏のコオトなのでしょう。
なにか温かいコオトを着て。ブレッソンの写真集を探しに行くとしましょうか。

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