ミルクと三揃い

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ミルクは、牛乳のことですよね。バターはミルクから生まれます。チーズもミルクから生まれます。
バターやチーズがない生活は、まず考えられないでしょう。そのように考えますと、ミルクは大切な食材ということになります。
もちろんミルク自体を飲むことも少なくないでしょう。むかしあって今ないものに、ミルク・ホールがあります。主に珈琲を飲むためにカフェがあり、主にビイルを飲むためにビア・ホールがあるように、「ミルク・ホール」があったのです。
わりあい最近まで、銀座の裏通りに「ミルク・ホール」が一軒遺っていたようにも記憶するのですが。現在はその姿を確かめられてはいません。白い暖簾に黒で、「ミルクホール」と記されていたような。

「三十五、六年頃からミルクホールというものが広く流行り物になって ( 中略 ) 牛乳の外にジャム附パン、またはバタ附、バタと言ってもそれはマーガリンで…………………。」

生方敏郎著『明治大正見聞史』には、そのように書いてあります。文中、「三十五、六年頃から」とあるのは、むろん明治のことです。
明治三十年代なら、夏目漱石もミルク・ホールへ行ったのでしょうか。

「ミルクホールに這入る。 ( 中略 ) 焼麵麭を嚙って、牛乳を飲む。懐中には二十円五十銭ある。」

夏目漱石が、明治四十年『ホトトギス』一月号に発表した『野分』には、そのような一節が出てきます。少なくとも明治三十九年頃には、「ミルクホール」が一般的であったことが想像できるに違いありません。
もちろん『野分』は小説ではありますが、たぶん漱石自身もミルク・ホールの暖簾をくぐったことがあるのではないでしょうか。
余談ではありますが。「野分」は「のわき」と呼んで、今の台風のことですね。
ミルクが出てくる短篇に、『三人の見知らぬ客』があります。明治十六年に、英國のトオマス・ハーディーが発表した小説。明治十六年は冗談で、1883年『ハーパーズ・ウイークリー』3月号に掲載されたものです。

「黙って彼はミルク・プディングを頂戴した。」

なるほど、ミルクでプディングも作れるわけですね。もっとも、今、私たちがプリンと呼んでいるものに、近いものであったでしょうが。
『三人の見知らぬ客』には、こんな描写も。

「長い淡褐色の大外套を後ろにはねのけると、下は、薄灰色がかった色合いの三つ揃いのスーツ姿である。」

1860年代から、ラウンジ・スーツはあったわけで。1880年代の小説にスリーピースが出てくるのは、不思議でもなんでもありません。当時、チョッキなしのラウンジ・スーツはまず存在しなかったのですからね。
なんだか古典的なラウンジ・スーツで、ミルク・ホールに行きたい気分になってきましたが。

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