マントとマクラメ

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マントは、外套のひとつですよね。袖無しなので、ケエプとも言えるものです。
マントは、フランス語の「マントオ」 m ant e a u から出ているんだそうですが。m ant e a u の綴りを見ますと、どうしても「マントオ」と訓みたくなってしまいます。
フランス語の「マントオ」は、ラテン語の「マンテルウム」m ant e l l um と関係があるらしい。「マンテルウム」は今のナプキンや帆などの一枚の布の意味であったという。要するに「包むもの」から来たいるのでしょう。
尾崎紅葉の『金色夜叉』で、間 貫一が着ているのも、マント。間 貫一は学生という設定で、明治の頃の学生はマントが制服でもあったからです。

「ぢやあ其着ると姿の見えなくなるマントルを取つてくれ給へ。」

芥川龍之介が、大正四年に発表した『青年と死と』の中に、そんな一節が出てきます。
明治の頃には「マントル」とも、「マンテル」とも言ったらしい。それはともかく芥川龍之介は、この短篇の中に、着ると姿が見えなくなる「マントル」を登場させています。大正のはじめにあっても「マントル」は、身近かな服装だったのでしょう。
マントが出てくる短篇に、『クリーブ家のバーバラ』があります。1890年に、トオマス・ハーディーが発表した物語。

「彼女の夫のいでたちはひらhする黒マント、そしてフェルト帽の縁を目深に下げていて、まるで外国人のようだ。」

また、『クリーブ家のバーバラ』には、こんな描写も出てきます。

「妻はテーブルに向かって、マクラメ編みと当時呼ばれた手芸に励んでいた。」

マクラメ m acr amé は、レエスの一種。ことに太い糸で編んでゆくことが多いもの。このマクラメも古くから知られていたようですね。

「勿論彼女は大勝ちで、マクラメの手提袋の中へ無雑作に紙幣束を押し込むと……………………。」

昭和二年に、池谷信三郎が書いた『橋』に、このような文章が出てきます。昭和二年頃に、マクラメのハンドバッグがあったんですね。
マクラメにもマントにも遠い、野暮な私ではありますが。

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