皇太子と古典

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

皇太子は王様のお世継ぎのことですよね。ふつう、「クラウン・プリンス」と言います。
でも、イギリスに限っては、「プリンス・オブ・ウエールズ」と呼ぶことになっているのです。れっきとしたイングランドの皇太子がどうして「ウエールズの皇太子」なのか。
これは十四世紀の史実の基づく話なのですね。
1301年頃に、エドワード一世が、ウエールズ地方一帯を平定。でも、まだ、平定されたばかりで、エドワード一世に不満を抱く人びとも少なくはなかった。そんな時、たまたま、王子が生まれた。これは目出度いというので。エドワード一世は生まれたばかりのわが子を抱いて、ウエールズ、カーナヴォン城のテラスに立って、宣言。
「これぞ、プリンス・オブ・ウエールズなるぞ!」
このエドワード一世のひと言で、ウエールズの住民も、心穏やかになった、と。つまり、プリンス・オブ・ウエールズにも、ざっと七百年の歴史があるわけですね。

「リッツは、ウエールズ皇太子からエレガンスを学ぼうとしていた。皇太子の衣装棚には、ネクタイ一00本、変わりチョッキ四十二着………………( 中略 ) 上着のボタンホールには、毎日イギリス人の部屋係、ジョンが用意した摘みたての真っ白なナデシコを一輪挿した。」

ミッシェル・ガル著『味覚の巨匠 エスコフィエ』の一節に、そのように出ています。これはモナコ滞在中の、プリンス・オブ・ウエールズの様子。「リッツ」が、リッツ・ホテルの創業者、セザール・リッツであるのは、いうまでもありません。
では、エスコフィエはどんな服装だったのか。オオギュスト・エスコフィエは。

「朝早くとも、必ず身だしなみを整え、きちんと仕立てられたルイ・フィリップ調の洋服に着がえると、まるで外国官のように、いかめしく威厳のある格好になる。」

辻 静雄著『エスコフィエ 偉大なる料理人の生涯』には、そのように出ています。エスコフィエが白衣を着るのは、日曜日だけだった、とも。日曜日はレストランが忙しく、着替えの時間がなかったので。
エスコフィエであろうとなかろうと、少し、古典の服を選ぶのは、いつの時代にも正しいことなのでしょうね。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone