バルコンと法被

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バルコンは、バルコニーのことですよね。英語だと、バルコニー。フランス語だと、バルコン。ドイツ語でもバルコンなんだそうですね。

「この『バルコン』めきたるところの窓、打見るほどに開きて………………………」。

森 鷗外が、明治二十四年に発表した『文づかひ』にも、そのように出ています。これはたぶんドイツ語としての「バルコン」なのでしょうね。
バルコンが出てくる小説に、『風立ちぬ』があります。堀 辰雄が、昭和十一年に発表した物語。それから今日まで、『風立ちぬ』ほど若者に読まれた書も珍しいのではないでしょうか。

「私は一度寒そうな恰好をしてバルコンに出て行った。バルコンは何んの仕切もなしにずっと向うの病室まで続いていた。」

これは、「高原療養所」での様子。汽車で、駅に着くと。

「駅には、高原療養所の印のついた法被を着た、年とった、小使が一人、私たちを迎えに来ていた。」

そんなふうにも、書いています。
堀 辰雄は、明治三十七年十二月二十八年に生まれています。お父さんの、堀 浜之助は、東京地方裁判所の書記だったそうです。お母さんは、西村志気。藝者。堀 浜之助には、「こう」という名の奥さんがいたのですが。
辰雄が、二つのときに。志気は辰雄を連れて、家を出る。その後、志気は、上條松吉と、結婚。上條松吉は腕の立つ彫金師だったという。
志気は、辰雄を溺愛し、辰雄は松吉をほんとうのお父さんだと思って。
でも、学校に上がると先生は、上條くんとは呼ばずに、「堀くん」と言った。子ども心に、おかしいなあ、と思ったらしい。
辰雄の成績はよくて、志気のなによりの自慢のたねであった。辰雄は「府立三中」から「一高」へ。
辰雄が、実家のある須崎から、本郷の「一高」に戻る時には、人力車を呼んだ。俥屋にたいそうな祝儀を渡し。辰雄には、こう言った。

「いちばん上等の法被を着ておゆきよ。」

大村彦次郎著『東京の文人たちに出ている話なのですが。

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