馴染みは、昵懇のことですよね。贔屓というのにも近いのかも知れませんが。
「馴染みのそば屋」なんてよくいうではありませんか。もちろんそば屋に、また店に限ったことではありませんか。
「馴染のない街を、倉田はゆっくりと歩いていた。咽喉が乾いたので、ビールを飲みたいとおもいながら歩いていた。」
昭和三十九年に、吉行淳之介が発表した短篇『手品師』は、そんなふうに書き出されています。もちろん、街にも馴染みがある街と、そうではない街とがあるわけですね。
「………なじみの所は梅の花がサ……………………。」
古書『遠鏡』にもそのように出ていますから、「馴染」もさぞかし古い言葉なのでしょう。
江戸期には、吉原という場所があってんだそうです。ほんとうは葦原。葦原では縁起が悪いので、「吉原」に変えたものだそうですね。吉原には遊廓がありまして、きれいなお姉さんがいらっしゃる。
客が初めて行きますと、「初回」。初回は、料理を食べて、酒を飲んで、話をして、それでおしまい。
同じ客が二回目に同じお姉さんをお願いすることを、「裏を返す」と言ったという。
そして同じ客が同じお姉さんを指名いたしますと、これを「馴染」と言った。「馴染」には、店から祝儀が出たんだそうですね。
「飾磨屋の馴染は太郎だと云ふことは、もう全國に知れ渡つてゐる。」
森 鷗外が、明治四十四年に書いた『百物語』の一節に、そのように出ています。明治になってからも江戸言葉と言って良い「馴染」が用いられていたものと思われます。
「馴染み」が出てくる名随筆に、『ベルトの穴』があります。昭和六十三年に、神吉拓郎が発表した随筆集。
「いずれ改めて、東京の喫茶店、馴染みの店を、広く、詳しく御紹介しましょう。」
神吉拓郎は、『喫茶店盛衰記』という章に、そのように書いています。
「マロン、メッカ、リボン、ママ、ブラウン、オロ、フロリダ………」
『喫茶店盛衰記』の第一行は、そのようになっているのですが。
これは昭和二十年代、有楽町、スバル街に並んでいた喫茶店の名前なんだそうです。
神吉拓郎は、下北沢の喫茶店、「ネバ」も馴染みの店だったらしい。当時、「小田急」の電車に「ネバ」の広告があって。その広告文が。
「下北沢へ来ると、コーヒーのいい匂いがするぞ」
で、あったらしい。また、その広告文に添えられた絵は、柳原良平ではなかったかと、回想してもいます。
神吉拓郎の御夫人は、一時期、兜町で喫茶店を開いていたことがあって。神吉拓郎もよく手伝ってりして。珈琲には、また喫茶店にはなにかと縁があったのでしょう。
『ベルトの穴』には、『知らない人たち』の章もありまして。
「派手なナイト・ガウンの女性もいるし、だいたいはガウン姿である。」
これは住んでいるマンションの非常ベルが深夜に鳴って。住人が飛び起きた場面。余談ではありますが。神吉拓郎の住まいはそのマンションの五階だったとも、書いてあります。
たしかにこんな場面での、ナイト・ガウンは必需品でしょうね。
ナイト・ガウン n ight g own も古い言葉らしく、1400年頃から用いられているんだとか。時に、「ドレッシング・ガウン」とも。
要するに、ベッドに入る前の衣裳なのでしょう。また、朝起きて、身づくろいする時の衣裳でも。
ナイト n ight と、ナイト kn ight は、音が似ていますよね。
今時、並の男が「騎士」に見える瞬間は、上等のナイト・ガウンを着ている時くらいではないでしょうか。
どなたか絹のペイズリイのナイト・ガウンを仕立てて頂けませんでしょうか。