ドイツとトリルビイ

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ドイツは、精密機械の都ですよね。ライカにしてもベンツにしても、ドイツの国民性と無関係ではないでしょう。
明治三十四年にドイツを旅したお方に、巖谷小波がいます。

「………晩は同氏の案内で、ポツダム橋のワインステハン屋に食事した。此家はビールの甘い家なのだ。」

巖谷小波の紀行文『伯林当座日記』に、そのような一節が出てきます。これはベルリンでの話として。ここに「同氏」とあるのは、日本大使館の「坂田」というお方なのです。
巖谷小波は、ベルリンで洋服を仕立ててもいます。「ブリュッケル」で。ブリュッケルは、その時代、ベルリン一のテイラーと謳われた名店。
明治三十四年十一月五日(月曜日)のところに、そのように書いてあります。

ドイツが出てくる日記に、『断腸亭日乗』があるのですが。

「去年横濱港桟橋へ横づけせし獨逸軍艦二艘は支那人の仕掛けたる爆弾のため破損せられ………」

昭和十八年一月一日の『日乗』に、そのように出ています。
荷風の『断腸亭日乗』を読んでおりますと、印税の話も出てきます。

「腕くらべ 第六板ノ一 七千五百部 金参百圓也」

昭和十六年七月十三日(日曜日)のところに、そのように出ています。昭和十六年の「参百圓」、今ならいくらくらいなのでしょうか。

「終日褥中に在りてトリルビーTrilbyと題する英文の小説をよむ。」

昭和十六年十一月二十九日の『日乗』に、そのように出ています。
もちろん、英国のジョージ・デュ・モーリエが1895年に発表した物語。『トリルビイ』はその後演劇となって拍手喝采。この女主人公のかぶった帽子から、流行がはじまっているのです。
どなたか古典的なトリルビイを作って頂けませんでしょうか。

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