ミルクとシルク

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ミルクは美味しいものですよね。ミルクはただそのまま飲むだけでなく、なにかの上に加えたりもします。
たとえば、ミルク・ティー。たとえば、カフェ・オ・レ。もちろん、ココアもミルクがなくてはなりません。
ミルクがあるからこそ、バターが生まれます。ミルクがあるからこそ、ヨーグルトが。ミルクがあるからこそ、チーズが。ミルクは貴重な原料にもなるわけですね。
ミルクは、「乳」で、牛乳と限ったわけではありません。たまたまそれが牛の乳であったなら、「牛乳」ということになるわけですが。
戦前の荻窪で、山羊の乳を飲んでいた人がいます。小塩 節。小塩 節は、ドイツ文学者。小塩 節著『フィレンツェの空に夜が青く花咲くころ』に出ています。
戦前の荻窪に、あるドイツ人一家が住んでいたそうです。そのドイツ人は山羊を飼っていて、アルミ缶を持って行くと、山羊の乳を分けてくれたんだとか。
ある時、著者の小塩節は、そのドイツ人の弾くピアノを聴いて、感動。それは、シューベルトの「菩提樹」であったという。戦争が激しくなって、そのドイツ人は国に帰ることになって、そのお別れに、弾いてくれたのでしょう。まだ、少年だった小塩 節の耳に長く「リンデンバウム」の響きが遺ったそうです。
小塩 節著『フィレンツェの空に夜が青く花咲くころ』には、大切な話がたくさん出てきます。たとえば、シュリーマンの話なども。ハインリッヒ・シュリーマンは、ドイツの考古学者。幕末の日本にも訪れた人物。シュリーマンは日本での見聞を細かく書き遺して、貴重な資料になっています。昔の日本人がいかに誇り高き民族であったかを。
シュリーマンは八王子で蚕の農家を見て、感心しています。
「日本では家の中で、大切に蚕を育てている。これでは極上の絹が生まれるはずだ」と。
絹糸からシルクが生まれるのは、言うまでもありません。いろんな素材の原料となります。戦前までの日本の絹は、上等な輸出品だったのです。そのことをあらためて、小塩 節著『フィレンツェの空に夜が青く花咲くころ』に教えてもらったところです。

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