日没閉門は、日が暮れると門を閉じることですよね。寺なんかでも「日没閉門」は少なくありません。
日没閉門。つまりは明るい昼間にいらして下さいの、意味なのでしょう。大いに結構なことであります。
内田百閒が、昭和四十三年に書いた文章に、『日没閉門』があります。ある時、内田百閒は玄関の前に「日没閉門」の貼札を貼ってあったという内容になっているのですが。
日没閉門。この貼札がすぐに消えてしまう。誰かが持って行くのでしょうか。
それで今度は、瀬戸物の表札もどきにして。有楽町の専門店に注文して。
「春夏秋冬日没閉門」と黒々と焼き込んで。
そのすぐ後、百閒先生、熊本に旅を。熊本城に行くと、やはり「日没閉門」。内田百閒、そこで、一句。
白映や 日没閉門 熊本城
内田百閒は、日没閉門に至るまで、いろんな紆余曲折があったという。最初、玄関に。
世の中に 人の来るこそこそ うれしけれ
とは云ふものの お前ではなし
これは太田南畝に倣ったものですね。蜀山人の言い方は。
世の中に 人の来るこそ うるさけれ
とは云ふものの お前ではなし
これをもとに、百閒流に直した文句だったのでしょう。
内田百閒がお好きだったものに、ビーフカツレツがあります。同じく内田百閒の随筆『牛カツ豚カツ豆腐』の中に、詳しく書いています。
この内田百閒の説によりますと。今のトンカツが流行になったのは、大正中期のことで、それ以前には、主にビーフカツを食べたんだそうですね。
「四足と鼻と尻尾の先が一寸白いので、六白と云ふ。この品種が一番うまい。」
百閒先生は、美味い豚肉について、そんなふうに書いてあります。
内田百閒の随筆『鷄蘇佛』を読んでおりますと、こんな一節が出てきます。
「僕が父の二重マントを著て山高帽を被つて、堀野の家へ行く。」
これ学生時代、友人の家を訪ねる場面として。
ここでの「二重マント」は、二重廻しのことです。つまり、着丈の長いインヴァネスのこと。なぜ、着丈が長いのか。着物の上に羽織るために。
どなたか現代版の二重マントを仕立てて頂けませんでしょうか。