ポケットは、ポッケのことですよね。昔は「隠し」とも呼んだんだそうですね。もちろん、pocket と書いて「ポケット」と訓みます。
俗語に「ポケット・ピストル」の言い方がありまして。これは「ポケット・フラスク」のこと。携帯用酒壜。ウイスキイやブランデーを容れておくための小壜。
「左の手を隠袋へ差入れ右の手で細々とした杖を玩物にしながら高い男に向ひ、」
二葉亭四迷が明治二十年に発表した小説『浮雲』に、そんな一節が出てきます。二葉亭四迷は「隠袋」と書いて「かくし」のルビを添えているのですが。明治二十年頃、ポケットのことを「かくし」と呼んだことがあるのは、間違いないでしょう。
この「かくし」も、幕末の洋服職人のスラングからはじまっているものと思われます。
ポケットが出てくる小説に、『ド・ドミエ=スミスの青の時代』があります。サリンジャーが、1952年に発表した短篇。
「デッサン用の鉛筆をまた戻しておいた背広のポケットを服の上から手でさわっていると、」
そんな文章が出てきます。『ド・ドミエ=スミスの青の時代』は、ロンドンの雑誌「ワールド・レヴュウ」誌5月号に掲載されたもの。
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー、三十三歳の時の物語。
三十三歳という年齢に関係なく、サリンジャーは服装描写の克明な作家。たとえば。
「わたしはベージュ色をしたギャバジンのダブルの背広を上下と、濃紺のフランネルのワイシャツを着て、木綿のネクタイをはめ、焦げ茶に白の混じった靴をはき、パナマ帽をかぶって、」
これはカナダnモントリオール駅に着いた時の、主人公の着こなしについて。その日は日曜日だった、とも。物語の時代背景は、1940年頃に置かれているのですが。
「赤いサルカのネクタイをつけ、」
そんな文章も出てきます。これは主人公がダーク・ブルーのスーツを着た時のネクタイとして。
ここでの「サルカ」は昔あった洋品店の名前。部屋着やネクタイを得意とした名店だったものです。
「ムッシュ・ヨショットはBVDのアンダーシャツに半ズボンのいでたち、」
そんな文章も出てきます。サリンジャーの服装描写。これはひとつには、サリンジャーがユダヤ系アメリカ人であったことと関連しているのかも知れません。
ユダヤ系の人びとが昔から多くのファッション・ビジネスに長けていたのはよく識られているところでしょう。
サリンジャーは1919年にニュウヨークに誕生しています。その頃の自宅は、ブロードウェイ3681番地にあって。お父さんは、サイモン・サリンジャー。お母さんは、マリイ。お父さんは「J・S・ホフマン」の社員だったという。これは食品輸入会社。
1937年、サリンジャー十八歳の時に、ヨオロッパへ。これは「J・S・ホフマン」での通訳の手伝をするという名目で。
一方、サリンジャー自身は作家への道を模索していたのですが。
「彼女は長い足を組み、ポロ・コートの裾を膝の上で合わせて待った。」
サリンジャーの短篇『エスキモーとの戦争の直前に』の一節。
1948年の「ニュウヨーカー」誌に発表された小説。この短篇には何度か「ポロ・コート」が出てきます。
1940年代のニュウヨークでは、すでに女性がポロ・コートを着ることがあったのでしょう。
ポロ・コートの前には、「ポロ・クロス」という名の生地があったのです。ポロ・クロスで仕立てた外套なので、「ポロ・コート」と呼ばれるようになったものでしょう。
「ポロ・クロスで仕立てられた、着丈55インチのポロ・コート。」
1919年の「ドライ・グッズ・リポーター」紙10月22日付の広告ページに出ています。
1919年には、「ポロ・コート」が一般化していたものと思われます。偶然にもサリンジャーが生まれた年に。
どなたか1919年型のポロ・コートを仕立てて頂けませんでしょうか。