タンデムは、二人乗り自転車のことですよね。
tandem と書いて「タンデム」と訓みます。
つまりサドルが前後に二つ用意されている自転車のこと。同じく、ハンドルもペダルも二つづつ。
「タンデム」はもともと馬車についての言葉だったようですね。馬を馬車につなぐ時、二頭を前後につないだ
。これを「タンデム」と言ったらしい。
タンデム型自転車は、1886年にはじまっているんだとか。
英国の、ダン・アルボーンなる人物が考案したという。
ダン・アルボーンは自転車レーサーでもあって、また発明家でもあった人物。
一台の自転車を一人でこぐより、二人でこいだ方がはやいではないか。そんなふうに考えて生まれたものなのでしょうか。
ただ、実際には、十九世紀の英国では、恋愛のための道具だったとか。
男がタンデム自転車で、彼女の家に。それで彼女を誘えば、女性を前に乗せて、二人だけの時間を過ごせたからですね。
当時の考え方としては、男が前の席に乗るのは、失礼だと。女性に背を向けるのは、無礼なことだったのですね。
余談ではありますが、「ソーシャブル」というのもあって。これは男女が横並びに座る自転車のことだったようですね。
十九世紀末、タンデム自転車はずいぶん流行ったらしくて。「バンバー」、「シンガー」、「ラッジ」、「ラーレー」などのメイカーが競ってタンデムを売り出したという。
二十世紀はじめ、ロンドンの街で自転車に乗ったお方に、夏目漱石がいます。
夏目漱石はなぜロンドンで自転車に乗ったのか。これは下宿のおばさんに薦められて。
下宿のおばさんは、漱石がいつも部屋にこもって勉強ばかりしているのを見て。運動不足を心配したらしい。
夏目漱石は明治三十六年に、『自転車日記』を書いています。
「今度は大変なものに出逢つた。女学生が五十人許り行列を整へて向からやつてくる。斯うなつてはいくら女の手前だからと言つて気取る訳にもどうする訳にも行かん。」
この時の漱石はまだ自転車に慣れていなくて。前から人が歩いて来ると、不安になったものと思われます。
一時、巴里でタンデム自転車に乗っていた作家に、シモーヌ・ド・ボーヴォワールがいます。
「相変わらず、二人乗り自転車ですか?」
これは1963年に発表された自伝『或る戦後』に出ている話なのですが。
1940年代、ボーヴォワールはサルトルと一緒にスイスを旅して、その税関で旅券見せた時に。
係官はサルトルのこともボーヴォワールのことも知っていて。ボーヴォワールがいつかタンデムのことを書いているのを覚えていたのでしょう。
また、『或る戦後』には、こんな文章も出てきます。
「サルトルは上下ひと揃いとレインコートを、私は緑色の絹紬のドレスと三色の木綿のスカートを一枚買ってきた。」
これはスイス、ローザンヌの市場で。ボーヴォワールは当時の巴里よりもローザンヌの方が物資が豊かであることに、驚いています。
ここでの「絹紬」は、タッサーtussah ではなかったでしょうか。
「タッサー」はもともと野蚕糸で織った絹地のこと。ふつうの家蚕よりもやや糸が太く、ムラのあるもの。
そのムラを趣味人は好んだものです。
どなたかタッサーのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。