リプトンとボタン

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リプトンの説明は要りませんよね。リプトン紅茶は有名でしょう。
スコットランドのトーマス・リプトンがはじめた紅茶なので、「リプトン」。
トーマス・ジョンストン・リプトンは、1848年5月10。スコットランドのグラスゴーに生まれています。でも、リプトン自身はいつでも自分のことを、アイルランド人だと思っていたのです。
それというのも、お父さんもお母さんもアイルランドからスコットランドへの移民だったから。少年の頃のトーマスの遊びは、川遊び。自分で作ったおもちゃの舟を川に浮かべては、飽きることなく遊ぶ。
それは川を下れば海に出て、海に出たなら、いつかアイルランドに帰れる、と考えていたからです。トーマス少年はいくつもの舟を作った。でも、それはぜんぶ「シャムロック」という名前だったのです。シャムロックがアイルランドを象徴する花であるのは、言うまでもないでしょう。
それからざっと四十年の時が流れて。トーマス・リプトンは、大富豪に。1898年には、「サー」の称号を与えられています。ですから1898年以降は、サー・トーマス・リプトンと呼ばれるようになったのです。
サー・トーマス・リプトンがその時からはじめたのが、「舟遊び」だった。「シャムロック」という名のヨットを作って、「アメリカズ・カップ」に出場。何度も出場しましたが、一度も優勝することなく終わっています。「アメリカズ・カップ」は、リプトンの負けっぷりを讃えて「ベスト敗者賞」を贈っています。
1920年のアメリカズ・カップにも、出場。「シャムロック四世号」で。
1920年1月2日に生まれたのが、アイザック・アシモフ。アイザック・アシモフの掌篇に、『ちょっとしたこと』があります。この中に。

「うちの息子のジョーですけどね、ブレザーのボタンを失くしてきちゃったの。七十二ドルもした上着よ。( 中略 ) 袖口の、ちょいとしゃれた真鍮のボタンなんだけど………」。

たしかに。同じブレイザーでも、ボタンによってその印象は大きく変わりますからね。

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