オペラ座とオックスフォール

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オペラ座は、巴里の名所ですよね。巴里の街を歩いていても、目印になるほどであります。
1909年。ガストン・ルルーが『オペラ座の怪人』を書いたように、むかしからオペラ座には謎がある、ということになっています。とにかく奥が深くて、複雑な構造になっているのは、間違いないようです。オペラ座の裏側まで探索すれば、ミステリのひとつやふたつは書けるのでしょう。
ミッシェル・サラザン著『パリ・オペラ座』は、オペラ座の神秘を知るのに恰好の手引書でありましょう。ミッシェル・サラザンはフランスの記者で、1988年に刊行されています。オペラ座の細かい数字も出ていますが、だいたいにおいて1986年頃の数字だと考えて良いでしょう。
たとえばオペラ座には、ファンファーレを鳴らすための専門家がいるんだとか。これはもちろん演奏とは別で、7人。ファンファーレ専門に、7名がいるんだそうですね。
もちろん専属の衣裳担当もいます。55名。これは衣裳の縫製係として。それとは別に、衣裳の着付け係が、38名。こうしてみると、オペラ座がいかに大きいか、よく分かるような気がします。
1986年頃までの出演者の報酬。たとえば、ルチアーノ・パバロッテで、約九万フラン。でも、女性歌手なら、アグネス・バルツァが、九万四千フラン。やや女性歌手に有利にできているのでしょうか。
オペラ座の歌手が出てくる小説に、『哀れなシャツ屋』があります。ヴァレリー・ラルボーが1913年頃に発表した短篇。

「レストラン・パイヤールを借り切り、オペラ座の歌手を何人か、モンマルトル界隈の詩人を一ダースほど……………」。

これはシャツ屋の、バルナブースが娘の結婚式のための準備として。また『哀れなシャツ屋』には、こんな描写も。

「型はだいたいこんなふうだいたいして。これはオクスフォール織りでございます。」

バルナブースが客にシャツを薦める場面。これはたぶんオックスフォードでしょうね。巴里のシャツ屋なので、「オクスフォール」になるのでしょう。
オックスフォードのシャツを着て、オペラを歌手聴きに行きたいものですが。

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