バナナとエスパドリーユ

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バナナは美味しいもんですよね。バナナがお好きだったお方に、獅子文六がいるんだそうです。

ひとつには獅子文六が、えー、その頃にはまだ本名の岩田豊雄だったわけですが。後に獅子文六となる岩田豊雄が少年の頃、バナナが輸入されるようになった。明治三十五年頃。岩田少年、十歳くらい。岩田豊雄少年は、五十銭出してバナナを買う。一房に、十二、三本ついていたという。

このバナナを横浜の家で、食べる。ただし、屋根の上に登って。屋根からは横浜の港が見える。港を眺めながら、バナナを。バナナを食べ終えると、皮を隣の家の屋根に投げ捨てる。そのうち隣の家の屋根は、黄色になったそうです。獅子文六著『バナナ禅語』に出ている話

バナナが出てくる小説に、『海流の中の島々』が。1940年頃、ヘミングウェイが書いた物語。

「庭の木から採ったバナナで、粒は小さく、黄色に熟している。皮を剥いでしまうと、人の指くらいしかないが、うまい。ハドソンは五本食べた。」

これは、トーマス・ハドソンの朝食風景。ハドソンは、物語の主人公。そして、ヘミングウェイ自身のことでもあるもでしょう。土地の風習として、酒とバナナは取り合わせが悪いと、教えられる。でも、ハドソンはまったく気にしないで食べる、という場面なんですね。また、こんな描写も。

「古びた青いズボン、キューバの農民スタイルのシャツ、麻縄底の靴といういでたち。」

これは、ヘンリー・ウッドという人物の様子を、ハドソンが眺めているところ。「麻縄底の靴」。勝手に、エスパドリーユを想像しているのですが。

さて、エスパドリーユを履いて、バナナ・パフェを食べに行くとしましようか。

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