カルピスと仮縫い

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カルピスは、美味しいものですよね。カルピスの誕生は、大正五年ころのことなんだとか。
そもそもの名前は、「醍醐酥」だったという。「醍醐酥」はまだ誰も馴染みがなくて。どこも売ってくれるところがない。そんな時代にいちはやく置いてくれたのが、銀座にあった「函館屋」。そのうちに、当時人気のあった俳優の、井上正夫や、北村禄郎が「函館屋」に買いに来てくれるようになった、人気が拡がったんだそうです。
この話は、池田弥三郎著『手紙のたのしみ』に出ています。あたりまえですが、『手紙のたのしみ』は興味深い手紙の宝箱になっています。
画家の、伊原宇三郎が池田弥三郎に宛てた手紙の中に、「カルピス」の話が出てきます。伊原宇三郎は、三島海雲に頼まれて、「醍醐酥」のポスターを描いたお方。よくご存じなのも、当然でしょうね。
当然といえば、小泉信三が池田弥三郎に宛てた手紙も紹介されています。小泉信三は、慶應義塾での先輩後輩の間柄ですから。
話は変りますが。福澤諭吉ご自身は義塾をどのように発音なさっていたのか。「ぎじく」。ぎじゅくではなく、「ぎじく」と発音されていたそうですね。
話は戻りますが。昭和四十年五月二十八日の、小泉信三から池田弥三郎宛の手紙の中に。

「大正元年、留学を命ぜられて、山崎ではじめての洋服を作り、荘司ではじめて理髪しました。」

これもまた銀座でのこと。銀座の「山崎」とは、山崎高等洋服店のことでしょう。「山崎高等洋服店」と名乗るくらいですから、当時一流のテイラー。今の「三越」銀座店の場所にあった有名店。ことに仮縫いの丁寧なことでも知られていたそうです。
まあ、洋服とはほとんど仮縫いで決まるものですからね。
ちょっといい服を着て、美味しいカルピスを飲みに行きましょうか。

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