スコットとストライプ

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スコットで、詩人でといえば、ウォルター・スコットでしょうね。スコットランドの詩人。
1771年8月15日、エディンバラに生まれています。代表作は、『湖上の麗人』でしょうか。まずはスコットランドを代表する詩人のおひとりでありましょう。
このウォルター・スコットが、タータンと大いに関係があるのです。
1822年に、ジョージ四世は、スコットランド訪問。これはそれまでの経緯から考えますと、画期的なことでありました。スコットランドとイングランドはいつも仲良しだったわけではありませんから。
イングランドはスコットランドに対して、「タータン着用禁止令」を出したこともあるほどに。
まあ、それはともかく、1822年にジョージ四世、スコットランドへ。この時、頭のてっぺんから足の爪先まで、スコットランド衣裳を着るよう提案したのが、ウォルター・スコットだったのです。
1822年以来、イングランドにおいてもタータンが着やすくなったのは、ジョージ四世のおかげとも言えるでしょう。
スコットは姓でもあり、名でもあります。たとえば、スコット・フィッツジェラルドだとか。
スコット・フィッツジェラルドにはじめてヘミングウェイが会った時の話。これは、アーネスト・ヘミングウェイ著『移動祝祭日』に詳しく書かれています。
1922年のこと。ちょうどジョージ四世がスコットランドでタータンを着た百年後に。場所はスコットランドではなく、巴里でありましたが。

「ブルック・ブラザーズの服は体にぴったり合っていて、ボタン・ダウンの白いシャツにレジメンタル・タイをしめていた。」

もちろん、これはヘミングウェイから眺めての、フィッツジェラルドの着こなし。
この文章に続けて、フィッツジェラルドには言おうとして言えなかったことも、漏らしています。
「巴里のアメリカ人は英国のストライプのタイを結ばないほうが良い」と。巴里にも、イギリス人はいるわけで、イギリス人から見れば、滑稽に思えるから、と。
私たちも同じことで、仮に友人が間違ったタイを結んでいても、それを指摘できないですよね。
近衛連隊には近衛連隊のストライプがあるのですから。それを近衛連隊ではない人が結ぶのは、「間違い」なのですが。
さすがの「アーネスト」・ヘミングウェイも、そればかりはフィッツジェラルドに、言えなかったというわけです。

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