フランソワーズとブラック・タイ

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フランソワーズは、女の人の名前ですよね。ことに、フランス人に多いようです。
たとえば、フランソワーズ・サガンだとか。フランソワーズ・サガンは、フランスの小説家。ただし、筆名。本名は、フランソワーズ・コワレ。1935年6月21日、フランスに生まれています。小さい頃の愛称は、「キキ」。
では、フランソワーズがどうして、「サガン」の姓名を選んだのか。それはフランソワーズが、おませな文学少女だったから。
フランソワーズ・コワレは十代の頃、マルセル・プルーストを読んでいた。これを日本に置き換えると、十いくつの女の子が、『源氏物語』を読むのに似ているのではないでしょうか。とにかく、長篇でもありますし。
マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の中に。

「たしかにパルム大公妃やサガン大公妃 ( つねづねこの名を聞いていたフランソワーズは………………)」

と、あります。勝手な想像ではありますが、フランソワーズはここに反応したのではないでしょうか。それで、「フランソワーズ・サガン」をペンネイムに。少なくともフランソワーズ・サガンの名前が、プルーストの『失われた時を求めて』に由来しているのは、間違いありません。
フランソワーズ・パストルに、ご記憶はありませんか。1950年代、フランス留学中だった遠藤周作と仲良しだった女性。
1952年のこと。フランソワーズ・パストルは二十二歳。遠藤周作は、二十九歳の時。
でも、1953年、遠藤周作は帰国。胸の病が悪化したため。この時、フランソワーズは遠藤を、マルセイユまで送っています。パリからリヨン、リヨンからマルセイユまでの三泊四日の旅を。
日本への帰途、遠藤はフランソワーズに手紙を書いています。

「もしお前にとって迷惑でないなら、日本でお前と結婚することでぼくはとても幸せだ。」

しかし、1955年、遠藤は日本人女性、順子と結婚。フランソワーズは、1971、四十一歳で世を去っています。
遠藤とフランソワーズはとても仲良しだった。でも、それは心と心のつきあい。いわゆるプラトニック・ラヴだったのですが。
1979年3月。遠藤周作は、56歳で、船旅を。

「晩餐はブラック・タイなり。晩餐後、ブランディーを飲み、やや元気をつけ、日本人の婦人二人とおどる。」

1979年3月8日 (木曜 ) に日記にそのように書いています。
遠藤周作のブラック・タイは、シングルの、ショール・カラーで、ヴェルヴェットのバタフライ・タイがお好きだったようですね。
さて、時にはブラック・タイで、私なりのフランソワーズで出会いたいものですが。

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