アダムと編みタイ

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アダムは、「男」のことですよね。イヴでない方の存在。聖書によれば、アダムとイヴから人間ははじまっているんだそうです。
そんなわけで、「アダムズ・リブ」の言い方があるらしい。「アダムの肋骨」。アダムの肋骨からイヴが生まれたのだ、と。結局、「アダムズ・リブ」は、イヴを指しているわけですが。
1949年のアメリカ映画に、『アダムズ・リブ』という題があったらしい。スペンサー・トレイシーと、キャサリン・ヘップバーンとの共演。検事と弁護士の夫婦という設定になっています。
この『アダムズ・リブ』の邦題が、『アダム氏とマダム』。うーん。まあ、そんな時代があったということなんでしょう。
『アダム氏とマダム』の映画を封切で観たのが、杵屋六左衛門。もう少し正確に申しますと、第十四代杵屋六左衛門。長唄の名手。人間国宝だった人物。
この杵屋六左衛門が映画好きで、ことに映画の中の食事風景を鑑賞するのが、趣味であったらしい。

「私は外國映畫を観る場合台所の場面が出て来ると非常に愉しいのです。」

杵屋六左衛門は『アダム氏の台所』と題する随筆の中に、そのように書きはじめています。また、あるいは。

「一人はハムを薄切りしてたつぷりバターを溶かした鍋の中にジユツと入れ………………」。

これはフランス映画『獣人』の中の、「台所」。杵屋六左衛門は趣味だけに、観察が細かい。この杵屋六左衛門の随筆のは、昭和三十二年の『美しい暮しの手帖』に出ています。
同じ『美しい暮しの手帖』十号に、菊池重三郎の『ネクタイの話』という随筆も出ているのです。
菊池重三郎は、当時有名だった、作家。この『ネクタイの話』では、黒のニット・タイ礼讃の内容になっています。また、こんなことも書いています。

「その人にお願ひして結び方を傳授して貰ひたいやうな氣になることを、何度か経験したことがあります。」

これは、誰か美事な結び方をしている人を見ると、教えてもらいたくなる、と書いているのです。まったく同感です。
ネクタイの結び目こそ「手仕上げ」で、その人の趣味があらわれる場所なのですから。当然、美事な結び目もあれば、そうでない結び目もあるのです。
杵屋六左衛門が映画の「台所」を観察したように、ネクタイの美事な「結び目」を観察したいものです。

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