無法松と無地

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無法松は、映画の題ですよね。正しくは、『無法松の一生』。何度か映画化されています。日本映画の、名画中の名画。
映画『無法松の一生』には原作があって。『富島松五郎伝』。岩下俊作が、昭和十五年に発表した小説。これが後に、『無法松の一生』と改題されて、そのまま映画の題名にも。
『無法松の一生』は、昭和十五年に最初に映画化。稲垣 浩監督。脚本が、伊丹万作。伊丹万作が、小説『無法松の一生』を映画にしたいと思った気持、よく分かります。
『無法松の一生』はひと言で申しますと。無法松の純愛。無頼者の松が、大尉の未亡人に懸想して、手も握らず死んでゆく物語。
ところで、監督の稲垣 浩はどうして同じ映画を何度も撮ったのか。検閲。当時は今より検閲が厳しくて、カット。軍部が、カット。GHQが、カット。
稲垣 浩としてはなんとかカットなしの『無法松の一生』を完成させたかったのでしょう。それが、昭和三十三年の『無法松の一生』なのですね。
無法松に扮するのが、三船敏郎。吉岡良子に扮するのが、高峰秀子。もちろん大尉の未亡人。この『無法松の一生』は、何度見ても最後のところで、必ず泣かされてしまいます。
1958年の『無法松の一生』は、その年の「ヴェネツィア国際映画祭」で、「金獅子賞」を得ています。その授賞式には、稲垣 浩も高峰秀子も出席しています。
この「ヴェネツィア国際映画祭」の周辺を描いた随筆が、高峰秀子著『ヨーロッパ二人三脚』。ここでの「二人三脚」は、愛妻ならぬ「愛夫」の松山善三とのことです。『ヨーロッパ二人三脚』の中に。

「花火、音楽、ダイヤモンドと毛皮と、タキシード、その中に自分がいる事がとても信じられない。」

これは授賞式後の、パーティーの様子。高峰秀子と松山善三は、ヴェネツィアの後、諸国を巡っています。

「ホテルを出て、エスカイアというメンズショップへゆく。善三喜こんで英国の布地、イタリーの布地を買いこむ。」

3月14日の日記として、そんなふうに書いています。場所は、シンガポール。
「無地に入って、無地に終る」。そんな言葉があるのか、どうか。でも私はその通りだと考えています。たとえばスーツの生地にしても、初心者には無地がふさわしい。また、甲羅を経た老練の着手にも、無地がぴったりとくる。
また、無地こそ、生地本来の質を見分けやすくもあるのです。
無地のスーツを着て。岩下俊作著『無法松の一生』の、初版本を探しに行きたいものです。

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