ステットソンとスペクテイターズ・シューズ

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ステットソンは、人の姓ですね。ステットソン St ets on はたしかに姓名でもあるのですが、帽子の名前でもあります。
ジョン・B・ステットソンがはじめた帽子なので、「ステットソン」と呼ばれるわけです。また、アメリカ人の中には、「ジョン・B」と略す人も。
フル・ネイムは、ジョン・バタースン・ステットソン。1830年に、アメリカ、ニュウ・ジャージ州、イースト・オレンジに生まれています。
ジョン・バタースン・ステットソンのお父さんが、スティーヴン・ステットソン。成功した帽子屋でありました。お父さんは、1790年頃、イースト・オレンジのメイン・ストリートに店を開いていたという。
ところが、ジョン・B・ステットソンは、二十代の時、病を得て、医者に見放される。たぶん結核だったと思われます。
医者に見放されたジョンは、西部の旅に。
「どうせ死ぬなら、西部を見てから死のう」と。もちろん、馬の背に揺られての旅であります。1850年代の、西部への旅は楽ではなかったでしょう。時には人の軒先で寝るようなこともあったのかも知れません。
ところが。ジョンは過酷な旅を続けているうちに、病が治っていたのです。
ジョン・Bは、旅の途中、同じ旅人と知り合いになって。彼はこう言った。
「西部での旅には、丈夫な帽子が欠かせないね」。
それで、ジョン・Bは、彼のために帽子を。荒野には、たくさん動物の抜毛がこれを拾い集めて、フェルトを。そのフェルトで、帽子を。すると旅人はジョンに30ドルくれた。
「ああ、世の中には丈夫な帽子を求めている人がいるのだなあ」。ジョン・Bがそう思った瞬間でありました。時は、1850年代末のこと。
1860年代のはじめ、ジョン・Bは、フィラデルフィアに落ち着いて、ここで帽子店を開く。ジョン・Bの丈夫な帽子はたちまち有名になって。「ボス・オブ・プレインズ」。「平原王」。
これぞ、「ステットソン」のはじまりなのです。
ステットソンが出てくる物語に、『黄金の銃を持つ男』。1965年に、イアン・フレミングが発表したジェイムズ・ボンド物。

「細く葉巻をくわえて、つば広の白いステットソン帽まぶかにかぶって………………」。

これは、スカラマンガという男の様子。『黄金の銃を持つ男』には、こんな描写も。

「仕立てのいいシングルのうす茶の背広を着て、茶と白のコンビの靴をはいていた。」

これもまた、スカラマンガの着こなし。たぶんこれは、スペクテイターズ・シューズなのでしょう。「スポーツ観戦専用靴」。
1920年代以前のスポーツ選手は、たいてい白い靴。一般人は、黒か茶の靴。そこで、「スポーツ観戦者」は、スポーツ観戦に限って、白いと黒を混ぜた。そのために、「スペクテイターズ・シューズ」と呼ばれるわけです。
私がスペクテイターズ・シューズに、白いステットソンをかぶっても、様にはならないでしょうが。

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