ハニイとバーミューダ・ショーツ

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ハニイは、蜂蜜のことですよね。蜂蜜はヨーグルトに加えて食べることがあります。多少、扱いが面倒でもありますますが、甘い。
とてもとても甘いので、愛する人のことを、ハニイとも言ったりするのでしょうね。
薄い食パンをよく焼いて、蜂蜜を添えて食べるのも、美味しいものです。少し風邪気味の時の、私の特効薬は、蜂蜜。うんと濃く淹れたミルク・ティーを飲みながら、蜂蜜を頂く。翌朝、風邪は裸足で逃げ去っています。

「細くはないが老人らしからぬつやをもった手が優雅に動いて、蜂蜜色の液体が注がれた。」

倉橋由美子が、昭和四十四年に発表した短篇『白い髪の童女』の一節。
ある老人が旅に出て、偶然、老女に出会う物語。老女は薬草を蒐めているらしく、はじめての老人に、薬草茶を飲ませる場面。
倉橋由美子は、1963年に、「田村俊子賞」を受けています。当時、倉橋由美子は高知に住んでいて、田村俊子賞の関係者が連絡を取ろうとして、取れない。あとで分かったことは。
たまたまその日が、四月一日の日で。倉橋由美子は、「ああ、エイプリルフールか」と思っていたという。
田村俊子は、明治の女流作家。そしてまた、「女優作家」でもありました。田村俊子は、明治十七年四月二十五日に、浅草、蔵前に生まれています。実家は差札。裕福な環境に育っています。
田村俊子は、明治三十五年、十八で、幸田露伴の弟子になっています。田村俊子は最初、尾崎紅葉を崇拝。でも、紅葉は自作の芝居に煩いと聞いて、演劇にはいっさい口を出さない露伴に傾倒したためと、伝えられています。
田村俊子は作家になった後。明治四十年に、「市川華紅」の名前で、舞台に。川上貞奴の弟子に。つまり、それくらい美人だったし、文才があった。才色兼備で、当然のように田村俊子は、星の数ほどの戀を経験もしています。
よくも悪くも、今、田村俊子に匹敵する作家は少ない。では、倉橋由美子ほど知性の光る作家は。これまた少ないようでありますが。
蜂蜜が出てくるミステリに、『パリ警察庁迷宮捜査班』があります。

「トレズはスタンドに立ち寄り、ハチミツを二瓶買い、一つをカペスタンに差し出した。」

これは部下のトレズが、上役の、アンヌ・カペスタンにサーヴィスしている場面。
『パリ警察庁迷宮捜査班』は、2015年に、ソフィー・エナフが発表した物語。また、こんな描写も。

「落ち着いた笑顔を取り戻したガブリエルはバミューダパンツのポケットをさぐって、スマホを取り出した。」

ガブリエルは、なぜか一年中、バーミューダ・ショーツを愛用という設定。
バーミューダ諸島は、英国領で、英國人が多く避暑に訪れた街。この地の暑さに耐え兼ねたイギリス人が、膝の上まで短くしたのがはじまりとか。
バーミューダ諸島での、バーミューダ・ショーツは、フォーマル・ウエアとされるほどです。

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