ダンスとダマスク

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ダンスは、踊りのことですよね。踊り手のことを、「ダンサー」d anc er というではありませんか。
ダンスはまた言葉遊びにも使われます。たとえば、「ダウンがすんだ」。これは誰でも知っている回文でしょうね。上から読んでも下から呼んでも同じ言葉になる遊び。「竹屋が焼けた」とか。
言葉がある以上、世界中どこの国にも言葉遊びはあるのでしょう。回文も。
英語では回文のことを、「パリンドローム」p al indr om e と呼ぶんだそうですね。
これも一例ですが。「マダム アイアム アダム」。M ad am I am Ad am 。これも上から読んでも下から読んでも、「マダム アイアム アダム」 になるわけですね。
伝説的なダンスの天才に、ニジンスキーがいます。ニジンスキーの天才を愛したのが、振付師の、ディアギレフであるのはよく知られている通りです。
ニジンスキーは克明な『手記』を遺しています。その内容は、赤裸々の一語に尽きるものです。では、ニジンスキーは、この『手記』を何で書いたのか。万年筆で。
ニジンスキー自身は、「フォンテン・プリュム」と呼んでいるのですが。これは英語の
「ファウンテン・ペン」を、ロシア語ふうに訓んだ、ニジンスキーの造語なのですが。

ダンスが出てくる小説に、『カタリーナ』があります。サマセット・モオムが、1948年に発表した長篇。

「その時代のベアトリスは、朗らかで、ダンスに夢中になっていて、いたずら好きであった。」

当時は、「ベアトリス」に限らず、誰もがダンスを踊ったものですが。また、モオムの、
『カタリーナ』にはこんな描写も出てきます。

「先頭には、王家の紋章を縫取りした眞紅のダマスク織の標識を押し立てて……………………。」

「ダマスク」 d am ask は凝った紋織地のことです。最初、ダマスカスで織られたので、その名前があります。

「四つの窓は、白絹縁の、黒い花模様織りだした真赤なダマスコ織の垂幕が飾っていた。」

バルザックが、 1834年に発表した『絶対の探求』にも、ダマスクが出てきます。
ここでは「ダマスコ織」と訳されていますが、おそらく「ダマスク」のことでしょう。

「………其廻りには花緞子で包んだ床几と、黑塗の椅子が一脚。」

小栗風葉が、明治三十五年に書いた『はやり歌』に、そのような一節があります。小栗風葉は、「花緞子」と書いて、「ダマスク」のルビを添えているのですが。
ダマスクはヨオロッパでも日本でも多く室内装飾に用いられたようですね。
どなたかっでジレ を仕立てて頂けませんでしょうか。

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