風俗とフランス綾

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風俗は、世間一般の習わしのことですよね。
風俗の「風」は、風習の風でしょうか。風俗の「俗」は、俗世間の俗なのでしょうか。つまり、「俗世間の風習」だと考えれば、少しは分かりなるのでしょう。

「天鵞絨の襟掛けたる草履取りに、編笠、竹杖を持たせ、或は羽織肩に掛けさせ、裾短なる着物を小褄高く着なし、足袋は筒短かに沓足袋、世知弁なり。頭巾は山の高きが流行るといひさま袋の様なるを……………………。」

延宝九年の古書、『都風俗鑑』にも、そのように出ています。自分のことは流行に従い、下男にも贅沢な服装をさせて。これまた、「風俗」なのでありましょう。
少なくとも日本の十七世紀には、「風俗」がほぼ今の意味で用いられていたことが窺えるに違いありません。
風俗はまた、小説の世界でも使われます。「風俗小説」というではありませんか。

「今日のいわゆる風俗小説がぼくに不満であるとすれば、それがたまたま現代の風俗を描いているからではなく、風俗が描かれているだけでしかないからである。」

昭和二十五年に、福田恒存が書いた『風俗小説について』の中に、そのように出ています。
なるほど、現代風俗を主に描いたものを、「風俗小説」と呼ぶわけですね。
もしも、そうであるとするなら。若き日に、風俗小説を書いた人物に、清水達夫がいます。
清水達夫は、以前、「マガジン・ハウス」の社長だったお方。

「………風景描写や風俗描写の文章に色彩感覚をたくさんとりいれたようなことだけを記憶していて……………………。」

清水達夫は、『龍膽寺雄邸サロンの思い出』と題する随筆に、そのように書いています。
時代背景は、昭和のはじめ。清水達夫は、その頃文学青年で、『不幸な衣裳』という題の短篇小説を書いて。その記憶を辿っているわけです。

「久留米絣の着物を着ていかにも文学青年らしい服装で、私は龍膽寺雄氏の高円寺の玄関を訪ねた。」

龍膽寺雄と仲良しだったのが、川端康成。川端康成は、昭和五年に、『龍膽寺雄』という文章を書いています。この中に。

「彼は兵児帶をきちんと結び、その蝶結びが、ちよつと女の子のそれのやうに、綺麗に開いてゐる。かういふ結び方は、彼の外に池谷信三郎君しか、僕は知らない。」

ここでの「彼」が、龍膽寺雄であるのは、いうまでもないでしょう。
龍膽寺雄が、昭和四年に発表した小説に、『黄燐とカクテル』があります。この中に。

「舟底椅子へものうげに凭った母の真っ紅なフランス絹の肩へ……………………。」

龍膽寺雄の『黄燐とカクテル』には、「フランス絹」が何度か出てきます。
もしかすれば、ここでの「フランス絹」は、フランス綾のことではないでしょうか。
フランス綾は、「トリコティン」 t or ic ot in のこと。綾絹なんですが、右上がりの綾が「立った」生地のこと。
おそらく大正末期から昭和のはじめにかけて、「フランス綾」はひとつの風俗でもあったのでしょう。
どなたかフランス綾でスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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