コップは、グラスのことですよね。
ビイルを飲む時にも、コップを使います。
でも、グラスともタンブラーとも。
昔は「コップ」、今は「グラス」なのでしょうか。
時代によって物の名前も変ってくるという一例なのでしょう。
私などはコップで育った人間です。ビイル壜があって栓抜があって、コップがあって。これで平和にビイルが飲めたものであります。
コップは少なくとも十六世紀には用いられていたらしい。
オランダ語では「コップ」cop 、あるいはポルトガル語では「コッポ」。ここから日本語のコップが生まれたのでしょうね。
明治になって英語が入ってきて、「カップ」cup も使われるようになったものと思われます。
「三十二年の夏の頃、新橋橋畔にビーヤホールと称ふる飲食店開かれ、極めて簡便にビールのコップ売りをなし、傍らサンドウイッチ等を備へて、客の好みに応じて、」
明治三十五年に出た『東京風俗志』に、そのように書いてあります。
この「ビーヤホール」はたちまち真似するものがあって、大流行になったとも書いているのですが。
それはともかく、明治の時代にはやはり「コップ」が一般だったのでしょうね。
「「代さん、あなた役者になれて」と聞いた、代助は何も云はずに、洋盞を姉の前に出した。」
夏目漱石が明治四十二年に発表した『それから』に、そんな一節が出てきます。
これは代助がワインを姉に注いでもらう場面。
漱石は「洋盞」と書いて「コップ」のルビを添えています。
夏目漱石は明治末に、今のワイングラスを、「コップ」と呼んでいたに違いありません。
「自然と大鍋の前に立つて、蛸の足を噛りながら、コップ酒をひつかける事になる。天神橋の蛸安は、前の下宿時代からの深い馴染だつた。」
水上瀧太郎が大正十五年に発表した『大阪の宿』に、そんな文章が出てきます。
水上瀧太郎は転勤で、大阪の保険会社に勤めていた時代がありますので。
大阪には大阪ならではのおでんがあります。
「コップ酒」も当然のことでしょう。
コップが出てくる小説に、『驛前旅館』があります。
昭和三十二年に、井伏鱒二が書いてヒットした物語。
これは宿屋の番頭たちが揃って慰安旅行に行く話になっています。
「それでは大成功なすつた旦那のために、みなさん乾杯をお願ひいたします。」と、連中一同にコップにビールを注ぎました。」
もちろん、番頭たちみんなで。
また『驛前旅館』には、こんな描写も出てきます。
「フランネルの裏をつけた富士絹の股引をはき、めうが屋の白足袋に、はせ川の駒下駄をはいてゐた。こいつは、足袋のこはぜが、象牙だと自慢してゐたが、」
これは「春木屋」の番頭の着こなしとして。
象牙の鞐。粋なものですね。
どなたか象牙の鞐をボタン代りにしたシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。