リーフレットは、一枚のパンフレットのことですよね。薄型のパンフレット。日本語なら、「チラシ」にも近いものでしょうか。
leaflet と書いて、「リーフレット」と訓みます。
リーフレットが出てくる記録文学に、『女工哀史』があります。1925年に、細井和喜蔵が発表した読物。これは当時、亀戸にあった「東京モスリン紡織」が主な舞台。おしゃれとも無関係ではありません。
「女工に頒布したリーフレットを挙げてみよう。」
そんな文章が出てきます。その時代、すでに「リーフレット」の言葉が用いられていたのでしょうね。
最近、私はリーフレットを読む機会がありました。『石井桃子
フォト、リーフレット』がそれです。これは石井桃子生誕百十周年を記念して編集されたものなのですが。
石井桃子は、明治のお生まれとしては、長生きされたお方です。2008年に、101歳で天寿全うされています。
2008年1月29日には、「朝日文化賞」を受けて。立派なスピーチをもなさっています。
石井桃子。石井桃子には、子供の頃、誰もがお世話になっているに違いありません。
あの「クマのプーさん」の日本語訳者が、石井桃子なのですから。
『クマのプーさん』は、昭和十五年十二月、岩波書店から出版されています。この時の題名は、『熊のプーさん』になっていたのですが。後に今の『クマのプーさん』になったもの。
そもそも石井桃子が『クマのプーさん』に出会ったのは、昭和八年のこと。石井桃子が二十六歳の時に。犬飼 健の屋敷で。犬飼 毅が暗殺された翌年のことです。
その頃、蔵書の整理を手伝ってくれる人を探していて。そこにあらわれたのが、石井桃子。菊池
寛の紹介で。それ以前の石井桃子は、文藝春秋でアルバイトをしていたからです。
そのアルバイトとは外国の雑誌を読んで、あらすじにまとめる仕事。昭和二年のことであります。石井桃子は、「日本女子大」で、英語を学んでいたので。
さて、犬飼家での蔵書整理。その時に偶然見つけたのが、A・A・ミルン原作の『クマのプーさん』だったのです。
「居間のコタツで、二十代半ばの石井さんに姉と僕とがくっついて座って、石井さん自身が愉しんでいるのがわかる「くっくっく、」という笑い声をあげながら、プーの滑稽な様子や活躍を読んでくれるのを甘えて聞いていました。」
犬飼康彦は、『74年前のクリスマスの晩に』と題する随筆に、そのように書いています。
ここに、「姉」と出てくるのが、犬飼道子。犬飼道子もまた、石井桃子に『クマのプーさん』を読んでもらっていたのですね。
石井桃子が昭和十八年から書きはじめたのが、『ノンちゃん雲に乗る』。この『ノンちゃん雲に乗る』が世に出たのが、昭和二十二年。ベストセラーに。この時の印税四万円で、石井桃子は乳牛を買っています。当然のように牛乳も。「ノンちゃん牛乳」の名前で、好評だったようですが。
リーフレットが出てくる小説に、『エスファハーン』があります。アイルランド出身の作家、ウイリアム・トレヴァーが、1975年に発表した物語。
「その眺望を讚えたリーフレットの一節をゆっくり読み上げた。」
これはツアー旅行に参加している場面。
『エスファハーン』には、こんな描写も出てきます。
「リネンのスーツを着て、リネンの帽子を手に持っている。」
これはツアーに参加している男性の姿として。この彼を見た彼女は、想う。
「彼女は彼をひと目見て典型的なイギリス人だと思った。」
うーん。たぶんリネン・スーツがごく自然に見えたからでしょうね。
どなたか自然体のリネン・スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。