ピンクは、桃色のことですよね。また、薄紅色とも。あるいは、鴇色と呼ばれることもあります。
pink
と書いて、「ピンク」。このピンクは、中世英語の「ピンク・アイ」が短くなって、「ピンク」。そんな説もあるらしい。このことと関係があるのかどうか、「元気」の意味もあるんだそうですね。
さらには「ギザギザに切る」の意味も。洋裁で使う「ピンキング鋏」は、ここから来ているわけですね。
日本でことに人気があるのが、「ピンク・シャンパン」。別にピンクでなくとも、シャンパンは健康と関係があるんだそうですが。私などはシャンパン一杯で、すぐに頬がピンク色になってしまうほうですが。
イギリス英語で、「ピンク・ジャケット」といえば、正式の狩猟上着の意味になります。それはたしかに赤の上着なのですが、必ず「ピンク・ジャケット」。
これは赤の上着が永年のハンティングで色褪せたという意味なのです。つまり狩猟については経験を積んでいますよ、というわけですね。
「小さな人間の衣服にはくつきりしたピンク色がぽつちりくつ附いてゐてそれがはなはだエフェクテエブであつた。」
佐藤春夫が大正八年に発表した小説、『美しい町』に、そのような一節が出てきます。
これは遠景として町を眺めている様子として。この『美しい町』には、土地が五千坪で五十円という話も出てくるのですが。
ピンクが出てくる伝記に、『チャーチル』があります。昭和五十六年に、足沢良子が発表したチャーチルの伝記。
「彼は、二人の同僚と、ピンクと白のしっくいを塗った家に住んだ。大勢の召使いにかこまれ、広い庭にはブーゲンビリアとばらが咲きみだれた。」
ここでの「彼」が、ウインストン・チャーチルであるのは、いうまでもありません。時は、1890年。所は、南インドのバンガロア。二十一歳のチャーチルは、青年将校としてインドに派遣されることになったので。
1896年9月11日に、船で英国を発ち、三週間かけてインドのボンベイに着いています。同じ年の10月11日に。
これより前の1895年の11月、青年将校のチャーチルは友人と二人、ニュウヨーク経由でキューバに赴いています。
この時のチャーチルは、二週間ニュウヨークに滞在。お母さんの友達で政治家の、バーク・コンランの世話になっています。バーク・コンランは当時のアメリカで、弁舌家としても有名だったお方。
チャーチルはコンランに、演説の秘訣を尋ねた。その時の答え。
「自分をオルガンにしてしまうんだ。」
まるでオルガンの音のように、発音を明瞭にすること、と。彼はチャーチルの前に立って、実際に発音してくれたそうですね。
チャーチルはこの教えを一生忘れることがなかったという。
1943年6月1日。六十八歳のチャーチルは、カルタゴに旅しています。この時のチャーチルの写真を観ると、サマー・スーツの上に、ピス・ヘルメットをかぶっているのです。
「ピス・ヘルメット」pith helmet は、「防暑帽」。
1870年代に、インド駐留の英国人が考案した帽子。帽子の内側に断熱材として「ピス」を入れてあったので。「ピス」はムネクサなどの植物の髄のこと。
どなたか現代版のピス・ヘルメットを作って頂けませんでしょうか。