カカオは、チョコレエトの原料ですよね。カカオがないことにはチョコレエトを作ることができません。ココアもまた、同じことであります。
cacao と書いて、「カカオ」と訓みます。cocoa と書いて、「ココア」と訓むように。
カカオは背の高い植物。カカオ・トゥリー。ただし、高温多湿の熱帯でなくては育たない植物なんだそうですね。中南米だとか、南アフリカだとか、東南アジアだとか。
カカオの木の学名は、「テオブロマ・カカオ」。これは「神様の食事」の意味なんだとか。古い時代から、不老長寿の薬だと考えられてきたのも、故なきことではありません。栄養価が高いので。
チョコレエトを食べ、ココアを飲むのは、健康によろしいのですよね。
ココアがお好きだったお方に、正岡子規がいます。
「二時過牛乳へコゝア交テ」
正岡子規の『仰臥漫録』に、そのように書いてあります。明治三十四年九月二日のところに。
これはたぶん牛乳を飲むのに、ココアを加えたとの意味なのでしょう。
「牛乳一合コゝア入 菓子パン二個」
同じ年の九月四日にも、そのように出ています。これは朝ごはんのひとつとして。
「牛乳五勺コゝア入 塩せんべい三枚」
これは九月七日の『日記』に。
正岡子規がココア好きだったのは、間違いないでしょう。
ココアがあれば、チョコレエトもあります。日本でのチョコレエトは、明治十一年にはじまっている。そんな説があります。当時、両国にあった「凮月堂」が国産チョコレエトを。これは米津松造の店だったのですが。
明治十一年『かなよみ新聞』十二月二十四日号に、チョコレエトの宣伝が出ています。
この宣伝では、「貯古齢糖」の文字が用いられているのですが。
「此は「カウヒー」の類にして頗る芳味ある滋養物の菓子なり」
そのように説明されています。
工場生産のチョコレエトとしては、森永製菓がはやいらしい。
大正七年に、「ミルクチョコレート」を売り出しています。それはいわゆる「板チョコ」で、一枚十五銭だったという。なお、この時すでにエンジェルマークが登場しているのですが。
子供の頃、はじめて食べたのが、森永のチョコだった人も少なくないでしょう。
「黄いろく色づいたカカオの実がなった時、カカオ園は美しい。毎年初めに農園主たちは地平線を眺め、天候と収穫予想する。」
ブラジルの作家、ジョルジュ・アマードが、1933年に発表した小説『カカオ』に、そのような一節が出てきます。
アマードは、1912年8月10日に、ブラジル、バイト州、タブーナに生まれています。実家は、カカオ園。カカオに詳しいのも当然でしょう。
実際に、カカオ園で働いた経験も持っているのですからね。カカオ園での労働はけっして甘いものだけではないらしいのですが。
カカオが出てくる長篇に、『賜物』があります。ナボコフが、1952年になって発表した小説。実際に雑誌に連載されたのは、1937年のことだったのですが。
「まだ一つだけロシア語で書かれているように見えたものがあった。カカオだ。」
もっともここでの「カカオ」は、ココアを指してのことなのですね。
ナボコフの『賜物』を読んでおりますと、こんな文章も出てきます。
「カノチエを後頭部にちょこんと載せ、細めた目のまわりや顎ひげの付け根あたり、唇のやわらかな隅に無言の、微かにからかうような微笑を浮かべていた。」
これは『賜物』の主人公のお父さんの表情として。
ここでの「カノチエ」は、カノティエcanotier のことかと思われます。
カノティエは、日本のカンカン帽のこと。英語の「ボーター」boater 。フランスでは、「カノティエ」
同じくフランス語の「カノタージュ」canotage と関係ある言葉。カノタージュは、「漕ぐ」の意味。小舟に乗るには最適の帽子なのでしょう。
どなたか1930年代のカノティエを再現して頂けませんでしょうか。