ウオッカはロシアの蒸留酒ですよね。もちろん、ポーランドの酒でもあります。いや、広く世界中でつくられているんだそうですが。
ただ、キャヴィアを食べる時にぴったりの印象があるのも事実ですが。
この昼の暑さに 無色透明なウオツカが 小さなリキユグラスを透かして 冷たい漣を立てる
昭和五年、北原白秋は『桐の花』の中に、そのように詠んでいます。
北原白秋は、「リキユグラス」と書いてありますが、たぶんリキュール・グラスのことかと思われます。
時間は昼の零時二十三分。場所は、銀座に近い公園で。私は勝手に日比谷公園を想像したのですが。
北原白秋は初夏の公園で、ウオッカを飲んだことがあるのでしょうか。もっとも白秋は、「ウオツカ」と表記しているのですが。
「丁度その頃、篠原と友成は富士見軒でウオッカを飲んでゐたのである。」
高見 順が、昭和十一年に発表した小説『故旧忘れ得べき』に、そのような一節が出てきます。
北原白秋も、高見 順もおそらくストレイトでウオッカを飲んだのではないでしょうか。戦前の大人はウオッカに強かったのかも知れなませんね。
ウオッカはおしゃれとも無関係ではありません。たとえば、アメリカ、サンフランシスコのオペラハウスでは、ウオッカ溶液を舞台衣裳にスプレイするという。俳優が着た後の手入れのひとつとして。たぶん、消毒にもなるからでしょうね。
ロシア人の中には、ウオッカは薬だと信じているお方も少なくないらしい。
「西洋鋸草とサルビアを浸したウォッカです。肩や腰が痛む時など、とてもよく効きますよ。」
1835年に、ロシアの作家、ゴーゴリーが発表した『昔かたぎの地主たち』に、そのような文章が出てきます。これはほんの一例で、ここではウオッカの薬効が延々と語られるのですが。
ウオッカが出てくる随筆に、『ウォトカの旅』があります。作家の後藤明生が、1978年に発表した読物。
「ウォトカは一杯(シングル)八十円である。」
後藤明生は、そのように書いています。これは当時、ロシアに向かう船、「ハバロスク号」の船内のバアでのこと。
そもそも後藤明生がウオッカの味を覚えたのは、昭和二十八年頃だったという。早稲田大学、露文の学生時代に。その頃、西武新宿駅の近くに、「オーレミカ」という小さなロシア料理店があって。後藤明生はよく通ったものらしい。ここでオーレミカさんが注いでくれるウオッカが極上だった、と。
ウオッカが出てくるミステリに、『泥棒は哲学で解決する』があります。アメリカの作家、ローレンス・ブロックが、1980年に発表した物語。
「コマーシャルが飲んだあと臭わないと言っているウオッカの臭いを漂わせていた。」
これは偶然、エレベーターで会った男について。また、『泥棒は哲学で解決する』には、こんな描写も出てきます。
「店ではノスタルジアと穿きやすさのために、ウィージャン・ペニー・ローファーを穿いていたが」
これは物語の主人公で、書店の主、バニイ・ローデンバーの履いている靴について。
「ウイージャンズ」Weejuns は、アメリカ、メイン州の、「バス」社の登録商標。
1936年に、雑誌『エスクァイア』の編集者が、お土産に持って来てくれた、ノルウエイのモカシンが元になっているので、「ウイージャンズ」と名づけたもの。もともとのモカシンはアザラシの革で作られていたそうですが。
どなたかアザラシ革のモカシンを作って頂けませんでしょうか。