セシルとセルジュ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

セシルは、人の名前にもありますよね。たとえば、サガンの小説『悲しみよこんにちは』にも、十七歳の少女、セシルが登場します。1954年のサガンの処女作。
これが1957年に映画化された時、セシルを演じたのが、ジーン・セバーグ。ジーン・セバーグは短髪でスクリーンにあらわれて、大好評。「セシル・カット」の名前で流行したものであります。
一方、アメリカに参りますと、セシル・B・デルミがいます。アメリカの映画監督。
フランスでは女名前。それがアメリカなら、男名前。そういうこともあるんですね。
セシル・B・デルミは1881年3月12日。マサチューセッツ州、アシュフォールドに生まれています。
1915年、三十一歳の時に、映画界に。ただ、セシル・B・デルミといえば誰もが、『十戒』を挙げるでしょう。1956年のパラマウント映画。220分の大作。歴史に遺る傑作であること間違いありません。
『十戒』は、史劇。モーセの『十戒』を描いた映画なのです。主演はチャールトン・ヘストンと、ユル・ブリンナー。
セシル・B・デルミは配役の前に、ロオマに赴いています。ミケランジェロの『モーセ像』を観るために。セシル・B・デルミはミケランジェロの『モーセ像』をとっくり眺めた上で、チャールトン・ヘストンに白羽の矢を立てたという。
『十戒』でのエキストラの人数、三千人を超えたんだとか。制作費、130万ドル。『十戒』が異例の映画だったのは、間違いありません。
異例といえば、もうひとつ。上映前に、セシル・B・デルミが一席ぶったことでしょう。1956年10月5日。スクリーンを背に前置きを。

「たとえこのドラマからすべての宗教的な要素を排除したとしても、かつて語られたことのない偉大な物語のひとつは残るだろう。」

セシル・B・デルミは延々と前口上を述べたのであります。
映画『十戒』の参考書が、『出エジプト記』であったのは、疑いようがありません。古代エジプトの時代、イスラエル人たちがエジプトを脱出する物語。海を渡ろうとすると、海が大きく二つに分かれて、道となり、無事に脱出に成功。
セシル・B・デルミはこの場面も、当時の特殊撮影技術を駆使して、克明に描いています。セシル・B・デルミはこの特殊撮影によって、「アカデミー賞」を得ているほどです。
セシル・B・デルミは、1959年1月21日に世を去っています。つまり『十戒』は遺作とも言えるでしょう。

セシルが出てくるミステリに、『謎の家』があります。1927年に、フランスの作家、モオリス・ルブランが発表した物語。

「そうでした。思い出しましたよ。セシル・エリアン ルヴァロ・ペロでクリシー大通り14番地でした。」

これは「ジャンデンタリ子爵の発言として。
また、『謎の家』には、こんな描写も出てきます。

「しごく簡単な服を着ていたが、 黒のサージのローブで、胴をほとんどしめていない」。

これはアルレット・マゾールの着ているドレスについて。ここでの「サージ」は、英語。「綾織地」のこと。フランス語なら、「セルジュ」serge
でしょうか。セルジュはもともと絹織物でありました。
どなたか絹のセルジュでスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone