ピカソとカシミア

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ピカソはよく知られていますよね。パブロ・ピカソ。
ピカソの写真は今なお、多く遺されています。たとえば、キャパも少なからずピカソの被写体として。
ピカソの写真を撮ったひとりに、コクトオが。もちろん、ジャン・コクトオ。1916年8月12日。土曜日。午後十二時四十分。
ピカソとコクトオは、この日、ランチの約束をしていた。「カフェ・ラ・ロトンド」で。「カフェ・ラ・ロトンド」は、ラスパイユ大通りに面したカフェ。ピカソをはじめ、当時の芸術家が贔屓にしたカフェ。
カフェ・ラ・ロトンドはラスパイユと、モンパルナス大通りの交差したあたり。今は、「パブロ・ピカソ広場」と名づけられています。余談ですが、このカフェ・ラ・ロトンドの上の階に住んでいたのが、少女時代の、ボーヴォワールなんですね。
コクトオはピカソとのランチに、写真機を持って行った。たぶん後でスケッチの材料にしようと思ったのでしょう。事実、コクトオはこの時のピカソを描いているのですから。
この時のコクトオの写真によって、1916年にピカソがステッキを携えていたことが分かります。格子柄のキャスケットを被り、ステッキを持って、懐中時計。懐中時計はジャケットの襟穴に通して、胸ポケットに収めています。ジャケットの下には、白いシャツと、黒に思えるタイを結んでいます。
ピカソが1925年に描いたものに、『三人の踊子』が。
1925年に生まれたのが、菊池 光。翻訳家。「菊池 光の訳なら買う」とまで言わせた手練れの訳者。菊池 光が1994年に訳したのが、『蒼ざめた王たち』。もちろん、ロバート・B・パーカーの原作。この中に。

「真ん中の男は白いカシミヤのダブルのオーバーの襟を立てている。」

これはフェリペ・エステバという、会社の社長という設定。うーん、白いカシミアですかあ。
なにか、お気に入りのコートで。ピカソは画集を探しに行きましょうか。

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