皇太子と小倉

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皇太子は、お世継ぎのことですよね。英語でいいますと、「クラウン・プリンス」。
ふつう王様のご長男が、跡を継ぐ。それで将来、王様にならプリンスのことを皇太子とも、クラウン・プリンスとも言うわけですね。
でも、イギリスに限ってはクラウン・プリンスとは言わない。「プリンス・オブ・ウエールズ」となります。
これは1300年頃にはじまった伝統なんだそうです。1300年は、エドワード一世の時代で。英国王、エドワード一世はウエールズ地方を征服。でも、実際にはウエールズ人に不満がのこった。この不満を和らげるためのひとつの手だてが、「プリンス・オブ・ウエールズ」の命名だったのです。
ちょうどその頃、エドワード一世のご長男がお生まれに。その時、エドワード一世はご長男を抱いてカーナボーン城に立ち、言った。
「これぞ、プリンス・オブ・ウエールズであるぞよ」。
これで、ウエールズ人の不満がおさまった。ここから、「プリンス・オブ・ウエールズ」と呼ぶ習慣がはじまっているんだそうです。
皇太子が出てくる小説に、『田舎教師』があります。明治四十二年に、田山花袋が発表した長篇。

「皇太子妃殿下節子姫には去る二十九日……………」。

これは後の貞明皇后のことで、やはり後の大正天皇がお生まれになったことを指したものです。教室で、教師の林 清三が生徒に語る場面。また、『田舎教師』には、こんな描写も。

「行田から熊谷まで三里の路を朝早く小倉服を着て通ったことも………………」。

もちろんこれも、林 清三の想い出。
「小倉服」は、小倉の生地で仕立てた学生服のこと。言うまでもなく、「こくら」と訓みます。霜降り調の、コットンの生地。よく夏場の服地とされたものです。もちろん九州、小倉にはじまっているので、その名前があります。
今、もう一度、復活してもらいたいものです。ただし皇太子拝謁の折には失礼かも知れませんが。

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