自然主義とジャケツ

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自然主義という言葉があるんだそうですね。もともとは、フランスでの文学用語。たとえばゾラなんかは、自然主義の代表者なんだとか。エミール・ゾラ。
たしかにエミール・ゾラは、自然がお好きだったらしい。ゾラの時代、巴里とはいっても自然にこと欠きませんから、大いに野原を駆けめぐったらしい。こうやって自然の中を歩くことで、想を練ったのでしょう。
フランスでの「自然主義」が日本にも輸入されて、自然主義はひところ文学の流行語のようでもあったのですね。
エミール・ゾラを熟読したお方に、荷風がいます。もちろん、永井荷風。荷風はゾラを精読するばかりか、その翻訳をも手がけています。たとえば、『女優ナナ』。
荷風の『女優ナナ』が出たのが、明治三十六年。この時の版元「新声社」は、広告文を掲げています。全文はあまりにも長いので、最後の一行。

「専らゾラ氏の著作を熟読し、研鑽此に年あり。氏其の流暢霊犀の筆を振つて、此の名著『ナナ』の梗概を綴り『女優ナナ』と題す。」

日付は、明治三十六年五月八日になっています。
自然主義が出てくる小説に、『沈黙の塔』があります。森 鷗外が明治四十三年『三田文学』七号に発表した短篇。

「自然主義の本と社会主義の本とは別々ですよ。」

『沈黙の塔』には、こんな描写も出てきます。

「己は粗い格子の縞羅紗とジヤケツとずぼんとを着た男の、長い脚を交叉させて、安楽椅子に………………………」。

ここでの「ジヤケツ」はいうまでもなく、ジャケツでしょう。うーん、これも解釈、難しいところですね。私は勝手に、こう考えました。
彼は、チェックのトゥイードの上着を着ている。で、その下に、ニット・ヴェストを重ねている。
明治の頃の「ジャケツ」は、多くニット・ウエアを指したものですから。
さて、カーディガンでも羽織って、ゾラの本を探しに行くとしましょうか。

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