白秋とハンティング

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白秋は、もちろん北原白秋のことですよね。

🎶 土手のすかんぽ ジャワさらさ………………。

子どもの頃、一度や二度、口遊んだことがおありでしょう。もちろん、北原白秋の作詞。あるいは、また。

🎶 からたちの花が咲いたよ………………。

これも、白秋。白秋はもともと詩人ですが、多くの童謡も創っています。その意味では、「国民詩人」とも言えるお方でしょう。
北原白秋と仲良しだった人物が、木下杢太郞。木下杢太郞の本名は、太田正雄。
木下杢太郞は、明治十八年のお生まれ。偶然、北原白秋も明治十八年に誕生しています。
木下杢太郞の実家は、「米惣」。よく知られた呉服問屋でありました。一方、北原白秋の実家は、「油屋」これまた海産問屋であり、また造り酒屋でもありました。
杢太郞と白秋が仲良くなったのも、当然だったかも知れませんね。そんなこともあって、木下杢太郞は『北原白秋君』と題する随筆をも書いています。

「牛込の白秋の家にはみんなでよく集まつた。永代橋際の都川といふ鳥屋のおかみが女中にあひがもの肉の包を持たせて、自らその牛込の家で割烹して、われわれに振るまつたことがある。」

白秋はいつもいつも「都川」に世話になるので、ちょっとしたお返しをした。自筆の句を詠んだ提燈を註文で作らせて、贈った。
「提灯が水に流れる………………」
「都川」ではその提燈を提げておいたところ。「白秋のだ」というので、評判になったという。
明治三十八年の夏。木下杢太郞は瀞八丁に旅をして。その帰り、新宿町で記念写真を写しています。
その木下杢太郞の写真を見ると、スタンド・カラーのジャケットを着ている。なんだかちょっと、ハンティング・ジャケット風でもあります。
たしかに、旅には、ハンティング・ジャケットが様になりますよね。
さて、ハンティング・ジャケットを着て、白秋の詩集を探しに行くとしようか。

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