エメラルドとエナメル

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エメラルドは、美しい宝石ですよね。
昔むかし、はるか遠い昔、エメラルドは眼の病に効く石だと考えられていたという。
まだ眼鏡が発明される以前、エメラルドを薄く削って、それをレンズにすることがあったそうです。今は、エメラルドは幸運を招く宝石だと考えられています。
瀬戸内晴美がエメラルドを買った話があります。もちろん今の、瀬戸内寂聴のことです。が、以前の、瀬戸内晴美時代のことなので、「瀬戸内晴美」とさせていただきましょう。これは瀬戸内晴美の、『エメラルドと川端夫妻』という随筆に出ている話なのですが。発表自体は、1972年6月になっています。
昭和三十六年に、瀬戸内晴美はソ連へ旅しています。「モジャイスキー号」で。六月のこと。これは、「日ソ婦人懇話会」の一員としての訪問だったのです。
その「日ソ婦人懇話会」のメンバーのひとりに、川端秀子が。いうまでもなく、川端康成夫人であります。この日の出発には、三島由紀夫も赤いスポーツ・シャツ姿で見送りに来ていたそうです。
「モジャイスキー号」がソ連の港に着くと、川端秀子用に、特別車が用意されていた。けれども、川端秀子はその特別車には決して乗ろうとはしなかった。
「私は今回、川端康成の妻としてではなく、川端秀子個人の資格で参加しておりますので………………………」と。
瀬戸内晴美の誕生石は、エメラルド。もし、手頃な値段のエメラルドがあったなら、ソ連滞在中に買ってもいいかな、とも思っていたらしい。でも、当時のソ連でも、エメラルドは高嶺の花で。瀬戸内晴美は買うに買えなかった。
ソ連から帰国してしばらくして、川端秀子から瀬戸内晴美に電話が。

「あなたにぴったりのエメラルドがあったから、買っておいたわ。」

値段を伺うと、瀬戸内晴美が考えていた何倍もの価格。でも、川端秀子は指環への加工から、何から何まで手配済み。瀬戸内晴美は、苦心算段の末、そのエメラルドを買った。
それが今では、数倍の値上がりに。「今」というのが、1976年のことなんですが。まあ、ほんとうにに佳いものは、買っておくべきなんでしょうね。
エメラルドが形容として出てくる小説に、『三人の女』が。1924年に、ロベルト・ムジールが発表した物語。

「かすかな緑いろに柔毛を帯びた、落葉松の老樹の幹からできたお噺話の森が、エメラルドいろの斜面に立っていた。」

また、『三人の女』には、こんな描写も。

「栗鼠の尾のような口ひげをたくわえ、いつもエナメルの靴をはいていた。彼がどんなに上品だったか、靴を何足持っていたかを、トンカはよくおぼえていた。」

これは、モルダンスキーという人物の様子。
いいなあ。エナメルの靴。まあ、せめてエメラルドのカフ・リンクスが欲しいところでありますが。

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