手紙と手袋

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手紙は、書簡のことですよね。ても、書簡はちょっと硬い言い方ですが。文なら、響きが優しいですしょうか。

文は遣りたし、書く手は持たず

というではありませんか。あなたに戀文を書きたいのは山々なれど、なにしろ無筆なので…………………。もちろん江戸期からの言いまわしであります。もちろん「ふみ」は手紙のこと。
三島由紀夫は美事な「書く手」をお持ちでしたから、文も書いています。

「小生はカオヤーズ、荊妻は熊掌をもつとも賞味いたし、共〃おもてなしの素晴らつたことを話し合ひました。」

昭和四十一年一月二十九日。三島由紀夫が、阿川弘之に宛てた手紙の一節。たぶん阿川弘之が三島夫妻を招いての宴への、礼状かと思われます。それにしても、「熊掌」とは、豪勢。もちろん熊の手。「ゆうしょう」と訓みます。

「どうか一粒の米すらない程、貧乏にして下さいますな。どうか又熊掌にさへ飽き足りる程、富裕にもして下さいますな。」

芥川龍之介著『侏儒の言葉』の一節にも、そのように出ています。
まあ、なにごとも程々がよろしいという意味なのでしょうか。
阿川弘之は阿川弘之で、吉行淳之介に宛てて、手紙を書いています。

)我々昔の文士とちがつて手紙のやりとりを余りしなくなつたが、手紙といふのはある意味で好都合なもんだナ……………………。」

そんなふうに、書きはじめています。平成六年四月十日の手紙に。芥川弘之は吉行淳之介に、飄々と綴っています。まさに「文士」ならではの文でありましょう。
手紙に貼るのが、切手。切手の出てくるミステリに、『レドンホール街の怪』があります。英国の、ピーター・ラヴゼイが、1981年に発表した物語。

「ブラック・ペニイは印刷したときのプレートによって価値がきまるんです。」

「ブラック・ペニイ」は英國での初切手。保存の良いブラック・ペニイは、少なくとも「熊掌」十回分くらいの値打があります。
また『レドンホール街の怪』には、こんな描写も。

「1845年の郵便局の住所録を見つけ出しました。レドンホール通りの住民のリストの中にバットという手袋屋がいたんです」

十九世紀には、「手袋屋」は重要でした。紳士淑女は季節にかかわらず手袋を必要としたから。手袋屋に行くと、パウダーを叩いて、試しに嵌めてみた。パウダーは、手の滑りをよくするために。
そのくらいフィットした手袋が優雅とされたものです。
「爪の形がはっきり見える」
そんな言い方だあったものです。これなら、手紙でも書けるでしょうね。

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