アンナとアノラック

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アンナで、バレリーナでといえば、アンナ・パヴロワでしょうね。パヴロワは、ロシアが生んだ天才バレリーナ。
アンナ・パヴロワが日本にやって来たのは、大正十一年のことです。1922年9月4日、横濱港に着いています。アンナ・パヴロワ、四十一歳の時のこと。
アンナ・パヴロワの十八番は、『瀕死の白鳥』。もちろんパヴロワが瀕死の白鳥を演じるわけです。帝國劇場の舞台が開いたのは、1922年9月10日。
このパヴロワの『瀕死の白鳥』を観に行ったひとりが、菊五郎。六代目尾上菊五郎。
『瀕死の白鳥』は、文字通り白鳥が今まさに死なんとするところで、幕。菊五郎はこの最後の場面が、どうも不思議でならない。で、何度も何度も、パヴロワの踊りを観る。最後には大道具係に変装して、舞台の真横で、観る。その菊五郎の結論は、「パヴロワは息をしていない」。
それから菊五郎はあれこれ手を使って、パヴロワを茶席に招く。通訳を通して、パヴロワに質問。
「あなたは最後の場面、息をとめていましたね?」
「どうして、それがお分かりになりましたの?」
「舞台の袖で、係に化けて観ていましたから」
この菊五郎の言葉に二人とも、大笑い。重ねて菊五郎が訊いた。
「もし、あのまま幕が下りなければ、どうなさるおつもり?」
パヴロワ答えて曰く。

「私は瀕死の白鳥になっているわけですから、もし幕が下りなければ、そのまま死ぬだけのことです。」

アンナで想いだす人に、アンナ・アストリッド・サンペが。スエーデンの、テキスタイル・デザイナー。ことにアストリッドのカーペットは高く評価されたものです。
アストリッドは、スエーデンをはじめ、北欧の女の人に多い名前なんだそうですね。たとえば同じくスエーデンに生まれた作家、アストリッド・リンドグレーンがいます。アストリッド・リンドグレーンは主に童話作家でありました。が、その一方で、『戦争日記』を遺していることでも、よく知られています。それは、1931年9月1日にはじまり、1945年12月31日で、幕を下ろしているのですが。
たとえば1942年12月25日には、こんな記述が。

「ラーシュはスキーズボン、アノラック、スポーツ用ソックス、靴下、数冊の本………………」

むろん、クリスマス・プレゼントとして。「ラーシュ」は、アストリッドの息子の名前。
アノラック anorak は、1924年頃から英語として使われている言葉なんだそうですね。もともとは、グリーンランドの、エスキモー語の、「アノラック」 ánorâq から来ているとか。その意味は、「服」。
グリーンランドでは「アノラック」が必要不可欠であったかを、窺わせるものでしょう。たいていはアザラシの革で、前開きを最小限に仕立てるところに、特徴があります。
アノラックを着て、私なりのアンナを探しに行くとしましょうか。

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