ぶどう酒とファー・ライニング

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ぶどう酒は、ワインのことですよね。今は、ぶどう酒というより、ワインと呼ぶことのほうが多いのではないでしょうか。
フランスなら、ヴァン v in。イタリアなら、ヴィーノ v ino 。これを続けて訓みますと、ヴァンヴィーノ。バンビーノは、仔鹿の話でしたね。

「京橋鍋町の凮月堂にて製したる西洋調味の珍菓に滋養となるべき極上等の舶来葡萄酒三壜と…………………。」

服部誠一が、明治二十年に書いた『稚児櫻』には、そのように出ています。少なくとも明治二十年頃までは、「葡萄酒」の言い方が一般的だったのでしょう。
服部誠一は、明治期の文人。なんでも徳光和夫の曾祖父さんだそうですから、世の中狭いものですね。徳光和夫のお父さん、徳光寿雄の、お祖母さんが、服部誠一の娘なんだとか。
今もある銀座の「風月堂」は、江戸時代から続く和菓子の流れを組む名店。これとは別にあったのが喫茶店の「新宿風月堂」。喫茶店「新宿風月堂」は、今日の銀座三越の、二、三本裏手にありました。新宿駅東口を出て、まっすぐ歩いて、右手にぽつんとあった、ハイカラな喫茶店。
一階と二階があって。一階の奥には、流 正之がデザインした石のテエブルが置いてありました。二階ではよく、若き日の寺山修司が原稿を書いていたものです。
寺山修司との関係があるのかどうか、若い、進歩的な藝術家の溜まり場になっていました。とにかく珈琲一杯で、何時間でもねばって居られる貴重な空間だったことは、間違いありません。
朝、風月堂に入って、本を読んで、おしゃべりして。昼になって外で天麩羅定食食べて、また風月堂に戻って夜まで。そんな連中も珍しくはありませんでしたね。
新宿風月堂から、1960年頃の「フーテン文化」が生まれた。たぶん、その通りでありましょう。とにかく丸山明宏と赤木圭一郎が逢引するような店だったのですから。
ぶどう酒が出てくる小説に、『肉体の悪魔』があります。1923年に、レイモン・ラディゲが発表した物語。レイモン・ラディゲは、16歳で『肉体の悪魔』を書きはじめたというから、天才。天才のジャン・コクトオがシャッポを脱いだほどの天才でありました。

「ブラウス姿の奥さま連中は水筒に赤ぶどう酒を注ぎ……………。」

ということは、ヴァン・ルージュだったのでしょう。『肉体の悪魔』は、今なおフランス文学の金字塔として聳えています。
ラディゲは小説ばかりか、戯曲も書いています。たとえば、『ペリカン家の人々』とか。『ペリカン家の人々』の中に。

「ペリカン氏は毛裏付きの外套を着、ペリカン夫人は水着姿。」

というト書きが、「第三幕」に出てきます。
もちろん、ファー・ライニングのオーヴァー・コートなのでしょう。
さて、ファー・ライニングのオーヴァー・コートを着て、ぶどう酒を飲みに行くとしましょうか。

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