アランとアングレエ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

アランときて、フランスの映画俳優となれば、アラン・ドロンですよね。もう、二枚目中の二枚目であります。
アラン・ドロンが、1935年の生まれ。1922年に生まれたのが、ジェラール・フィリップ。これまた美男子でありました。アラン・ドロンのほぼひと回り上が、ジェラール・フィリップということになるでしょうか。
アラン・ドロンが現代的な男前だとすると、ジェラール・フィリップは古典的な男前だと言えるでしょう。
1963年に、アラン・ドロンは、後のナタリー・ドロンと結婚。ドロンはどうしてナタリーと結婚したのか。ドロンのお母さんの印象とよく似ていたからなんだそうです。
理想の女性はお母さん。男の子の場合、こういうことは珍しくはないらしい。すべての男の子はマザー・コムプレックス、とまでは申しませんが。
アランで、フランス文学となりますと、アラン・ロブグリエでしょうか。1959年の『迷路のなかで』は代表作でありましょう。いわゆる「ヌーヴォー・ロマン」、「アンチ・ロマン」の旗手でもあった作家ですね。
アラン・ロブグリエよりも先輩になるのが、ナタリー・サロート。『トロピスム』は1939年に発表されています。
1948年に、ナタリー・サロートは、『見知らぬ男の肖像』を発表。この時に「序文」を添えたのが、サルトル。サルトルはこの「序文」の中で、「アンチ・ロマン」の表現を用いています。つまり、「アンチ・ロマン」は、ナタリー・サロートの『見知らぬ男の肖像』からはじまる。そう言っても、大きな間違いではないでしょう。
ナタリー・サロートの『トロピスム』の中に。

「イギリスふうのツィードをつくっている専門店へいけば、確実に見つかるわね」というわけで、薄暗い階段を通って、そういう店の五階や六階まで根気よくのぼっていった……………………。」

ここでの「イギリスふう」とは、「アングレエ」でしょうか。フランスでは「イギリスふう」という時、よく「アングレエ」を使います。
それはともかく。1938年頃の巴里で、「イギリスふうのツィード」が探し求められたのは、事実なのでしょう。
アンチ・ロマン以前に、貴重なファッション資料でもあります。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone