フラソワーズとフラノ

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フラソワーズは、女の人の名前ですよね。男の子だと、フランソワでしょうか。
以前、フラソワーズ・アルヌールというフランスの女優がいましたね。たぶん、フランスに多い名前なんでしょう。
たとえば、フラソワーズ・サガンだとか。フラソワーズ・サガンは、フランスの作家。1935年6月21日に生まれています。フランソワーズ・コワレとして。
1954年、フランソワーズ・サガンの名前で、第一作目となる『悲しみよこんにちは』を発表。フランソワーズ、十八歳の時。どうして『悲しみよこんにちは』の題を選んだのか。フランスの詩人、ポオル・エリュアールの詩に触発されてから。

悲しみよ さようなら
悲しみよ こんにちは
天井のすじの中にもお前は刻みこまれている

と、はじまる『直接の生命』と題する詩から発想を得ているのでしょう。
フランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』を日本語に翻訳したのが、朝吹登水子。いや、1950年代以降、サガンのほとんどの小説を、朝吹登水子は訳しています。
朝吹登水子のお父さんが、朝吹常吉。朝吹常吉のお父さんが、朝吹英二。朝吹常吉の息子が、朝吹三吉。朝吹三吉は、朝吹登水子のお兄さんというわけです。
朝吹登水子は、『私の東京物語』の中に、朝吹三吉のことをこんなふうに書いています。

「父は、日曜日になると、ロンドンの紳士服の老舗、サヴィルローのシンプソン製の茶と白のラフな織りのスポーティな上衣に、グレーのフラノのズボンという、典型的なイギリス風の服装をしていた。」

ここに出てくる「シンプソン」S imps on は、1894年にサヴィル・ロウのテイラーとして出発しています。シメオン・シンプソンによって。シメオン・シンプソンの跡を継いだのが、息子のアレクサンダー・シンプソン。
1920年代になって、アレクサンダー・シンプソンは、既製服にも進出。
また、1932年には「ダックス」D AKS を発表。これは「ダディ・スラックス」の頭文字をとっての商品名だったのです。当時としては画期的なベルトレスのトラウザーズでありました。もちろん、フラノのベルトレス・トラウザーズもあったでしょう。
時には、フラノのトラウザーズで、サガンの初版本を探しに行くとしましょうか。

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