アルレーとアルパカ

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アルレーは、フランスのミステリ作家ですよね。カトリーヌ・アルレー。
C ath er in e A rl ey と書いて、「カトリーヌ・アルレー」と訓むんだそうですが。
本名は、ピエレット・ペルノオ。
カトリーヌ・アルレーがもし1924年生まれだといたしますと、やがて百歳ということになるのですが。
それというのも、アルレーにはいろんな生年説がありまして、そのうちのどれを信じたらよいのか、難しいところがあるのですね。
カトリーヌ・アルレーは、ミステリ作家になる前、女優だったという。お綺麗なのも当然でしょう。
アルレーの、ミステリ作家としての第一作は、『死の匂い』。1953年のことです。そして、第二作が、『わらの女』。1956年の発表。
ミステリ作家のアルレーは、この『わらの女』で決定されたと言って過言ではありません。
『わらの女』は、少なくともアルレーの代表作であることは間違いないでしょう。
ところで、どうして『わらの女』なのか。
フランスには「わらの男」の慣用句があって、「ろくでもない男」の意味。アルレーはこれをもじって、「わらの女」。「ラ・ファム・ド・パイユ」L a F emm e d e p a ill e 。
「ろくでもない女」とでも訳せば良いのでしょうか。
ただし『わらの女』は、拍手喝采。
1957年には『わらの女』の英語版が出ています。また、その後『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載されて。その結果、二十六ケ国語でも読めるように。
アルレーの『わらの女』は、なぜこれほどに好評だったのか。ひとつには美女が悪女でという構成にもあったのでしょう。そして、もうひとつには、完全犯罪。
1956年の『わらの女』以前には、作者の良識として「完全犯罪」を避ける傾向があったものです。が、『わらの女』では、見事、成功。いや、こんな場合に「見事」とか「成功」とかを使ってはいけないのでしょうが。
つまり『わらの女』はミステリ界の「掟破り」でもあった。この意外性もまた評判に繋がったものと思われます。
1964年には、映画化。ジーナ・ロロブリジータ主演。大富豪に扮したのが、ショーン・コネリー。
『わらの女』は、アルレー自身にもなにかと反響があったらしく。ある日、アメリカの読者から一通の手紙があって。
「………ご著書拝読致しました。私も、女主人公と同じことをやってみようと思います。いかがでしょう?」
これに対するアルレーの返答はまことに短いものでありました。

「おやりになれば!」

まあ、これくらいの返事ができなくては、悪女のミステリは書けないのかも知れませんが。
もっとも、深読みすれば。ちょっと凝った、熱烈ファンレターだった可能性もなきにしもあらずですが。

「当方、莫大な資産アリ………」。

この新聞広告を出したのが、大富豪のカール・リッチモンド。この広告に応募したのが、美人の、ヒルデガルデ・マエナーなのですね。
アルレーの『わらの女』に。

「老人は、アルパカの背広を着込んで、パナマ帽を膝に置き、正装して彼を待っていたのである。」

ここでの「老人」が、大富豪の、カール・リッチモンド。「彼」とは秘書のアントンという設定になっています。
季節は、夏。豪華ヨットの船上。そこで、大富豪は、アルパカの背広を着ているわけです。
戦前の日本でも、「アルパカ」は夏服地という印象があったものであります。
なぜか。当時の「アルパカ」は、絹との交織地を意味したからなのです。アルパカ・ヤーンを縦に、横に絹糸を配した布地を一般に、「アルパカ」と称したのであります。
どなたか「アルパカ」をもう一度復活させて頂けませんでしょうか。

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