サンフランシスコとサスペンダ

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サンフランシスコは、アメリカ西海岸の街ですよね。サンフランシスコは、坂の街でもあります。
サンフランシスコの坂道には、それなりの自動車の停め方がありまして。坂の方向に対して、斜めに停めることになっています。滑り落ちないように。
坂道を登ると、美しい海を眺めることができます。そんなこともありまして、ケーブル・カーが発達しているのでしょう。
サンフランシスコはまた、中華街のあることでも、有名。広い広いチャイナ・タウン。美味しくて、良心的な値段の中華料理には事欠きません。たぶん中華街の大きさでは、世界でも有数の規模ではないでしょうか。
サンフランシスコは、ブルー・ジーンズ誕生の地でもあります。これはリーヴァイ・ストラウスが、サンフランシスコで高級店を営んでいたことと、密接に関係しているのです。
1870年代はじめこと。ところが、1908年にサンフランシスコ大地震。このサンフランシスコ大震災によって、初期の、貴重な資料の多くが失われたとも伝えられています。
1908年のサンフランシスコ大地震の折には、日本からの救援物資が届けられたのではないでしょうか。
大正十二年の関東大震災の時には、アメリカから援助品が送られているのです。

「………四日朝青島に入港した水雷母艦は米、豆、麥粉、牛肉等を滿載して横濱に急行すべく……………………。」

大正十二年『大毎新聞』九月六日号の記事に、そのように出ています。見出しは、
「救援に従事する米國艦隊」となっています。
このような数多くの救援物資の中に、ジーンズがあったという。ただし、荷崩れ防止材のひとつとして。今の言葉で申しますと、「クッション材」でしょうか。
日本人の多くが、はじめて目にしたジーンズは、たぶんこの時が最初だったでしょう。ただし、それは「ボロ切れ」であり、少なくともまさかファッション洋品とは思いもよらなかったでしょうが。

サンフランシスコもまた霧の似合う街で。歌にも、『思い出のサンフランシスコ』があります。

🎶 アイ・レフト・マイ・ハート……………………。

邦題としては、『霧のサンフランシスコ』とも。
1962年に、トニー・ベネットが歌って、拍手喝采。300万枚のレコードが売れたという。
ダグラス・クロスの作詞。ジョージ・コーリーの作家。もともとは1954年の発表。でも、人気の歌にはならなくて。しかし、トニー・ベネットが立派だったのは、売れなくても売れなくて、ただ歌い続けたこと。
今では、多くの歌手によっても歌われています。第一、1969年にはサンフランシスコの「市歌」に認定されてもいるのですから。
余談ではありますが。作詞のダグラス・クロスと、作家のジョージ・コーリーとはともに、
1920年生まれの同い年。

1922年のお生まれが、石井好子。その石井好子には、『思い出のサンフランシスコ』と題する随筆があります。歌うほうではなく、読むほうの『思い出のサンフランシスコ』。

「サンフランシスコ・ミュージック・アンド・アーツ・インスティテュート」、生徒も五十人くらい、先生が六、七人の小さい私立大学に入学したが……………………。」

昭和二十五年八月。石井好子はまたアメリカで、音楽の勉強をはじめる場面を、そのように書きはじめています。
サンフランシスコが出てくるミステリに、『さよならを言うことは』があります。2005年に、ミーガン・アボットが発表した物語。

「それで、ロイス・スラタリーがサンフランシスコへ行ったって、彼女に聞いたんでしょ」

これは主人公、ローラ・キングの、兄のビルに対しての科白として。また、『さよならを言うことは』には、こんな描写も出てきます。

「………おそろいのよそ行きのサスペンダーに絡めた丸々としたひじ。」

これは子どもの頃の、ローラとビルの様子。つまり兄妹で同じサスペンダーをしているわけですね。
「サスペンダー」は、アメリカ英語。イギリス英語では、「ブレイシーズ 」。
でも、イギリスに「サスペンダー」がないわけではありません。「ソックス・サスペンダー」だとか。
つまり英国での「ブレイシーズ 」は、上着的。「サスペンダー」は、下着的。そんな印象があるわけでですね。
どなたか男女おそろいのサスペンダーを作って頂けませんでしょうか。

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