ターナーとダンガリー

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

ターナーは、英国の絵師ですよね。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、1775年4月23日に、ロンドンのコヴェント・ガーデンに生まれています。
お父さんのウィリアムは、床屋だったとのこと。その時代の床屋はふつう鬘屋を兼ねていて、なかなか腕の立つ鬘師でもあったそうです。
1775年4月23日の誕生。これは、本人の発言をもとにしています。つまり、ほんとうのところはよく分かってはいないようです。
では、なぜ、ターナーは4月23日を称えたのか。たぶんウィリアム・シェイクスピアが、1564年の4月23日が誕生日だと考えられていることと関係してのことかと思われます。
ターナーもまた旅する絵師のひとりであって、旅のなかから、多くの名作を生んでいます。
たとえば1792年の夏、ウエールズ地方を目指しています。ターナーが十七歳の時のことであります。ターナーはこれ以来、何度もウエールズに旅をして、多くの名画を仕上げているのです。
ターナーのウエールズ。なぜ、ウエールズだったのか。ひとつにはロンドンには観られない荒涼とした風景に恵まれていたからでしょう。
そしてもうひとつが、リチャード・ウイルソン。ターナーが尊敬した先輩の絵師、リチャード・ウイルソンの故郷が、ウエールズだったからです。
ターナーが、1799年頃に描いた絵に、『ドルバダーン城』があります。ドルバダーン城は北ウエールズの古城。
最初、ターナーは鉛筆でスケッチをし、水彩にし、油彩にもしています。
その間、ターナーはまったく同じ構図、構成で、何度も何度も技法を変えているのです。絵師ならではの粘り強さという外はないでしょう。
微妙な、さまざまなブルウの色調を重ねて、逆光の美しさを表現しているのです。

ターナーが出てくる短篇に、『ある作家の午後』があります。フィッツジェラルドが、1936年『エスクワイア』誌8月号に発表した物語。日本語訳は、村上春樹。

「ターナーの夕日やグイード・レーニの夜明けみたいに、念入りにめかしこんで。」

これは、これから床屋に出かける場面として。
ます、『ある作家の午後』には、こんな文章も出てきます。

「十年前には夏のリヴィエラで、作家と彼の何人かの友人たちは、濃いブルーの作業用のシャツを買った。おそらくはそのせいで、それがやがて流行のスタイルになった。」

この部分を読んで、私は勝手にダンガリー・シャツを想いました。ダンガリー・シャツは1920年代に、フィッツジェラルドが流行らせたものなのででしょうか。
紳士がダンガリー・シャツを好んで着るのは、たぶんそれでも労働者には観えないという自信があってのことでしょう。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone