理想と流行

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理想は、アイデアルのことですよね。英語の「アイデアル」ideal を日本語に移して、「理想」。明治のはじめ、思想家の、西 周の創作だと考えられています。
西 周は、理想だけでなく、「哲学」の日本語をも考えたお方です。「芸術」や「意識」なども。さらには「科学」や「定義」なども。
理想は誰もが持っている想いでしょう。また、どんな事にも理想はあるのでしょう。
たとえば一冊の本にも理想はあるのでしょう。これまた、ひとつの例ではありますが、『理想の書物』という本があるのです。
著者は、英国のウイリアム・モリス。モリスはこの著書の中で、理想の書物について、えんえんと語っています。その書物に用いる紙についても。

「それで一四七三年のボローニャの紙を自分の手本とすることにした。」

モリスはそのように書いています。幸いなことには、イギリス、ケント州のリトル・チャートに住む、友人の「バチェラー」が、理想の紙を漉いてくれたという

その十五世紀ふうの紙は、木綿ではなくリネンが材料だったとのことです。また、この紙に載せるための活字は、十五世紀のヴェニスで使用されていた文字を基本にしたものであったという。

理想は何にでもあるのでしょうね。小説の理想。詩の理想。俳句の理想。俳句なら、松尾芭蕉でしょうか。江戸時代には多く俳諧と呼ばれて、富裕商人の言葉遊びだったのです。この単なる言葉遊びを芸術にまで進化させたのが、松尾芭蕉だったのであります。

「師の俳諧は、名はむかしの名にして、昔の俳諧にあらず、誠の俳諧なり」

服部土芳という江戸の俳人は、そのように述べています。土芳は、芭蕉の弟子。ここでの「師」が芭蕉を指しているのは、言うまでもないでしょう。
芭蕉といえば、『奥の細道』でしょうか。元禄二年三月二十七日。弟子の曽良と二人、北陸を目指しています。この『奥の細道』の旅は難行苦行の連続だったそうですが。芭蕉、四十六歳のこと。
同じく元禄二年の八月末に、大垣に着いています。この『奥の細道』の旅の終り頃に、芭蕉が到達した心境が、『不易流行』だったのです。物事には皆、変るものと変らないものとがある。その裏表が大切なのだ。そのように説いたのです。

「流行とはスタイルに活気を与えるビタミンのようなもの。適量とれば刺激になるが、とりすぎれば害になる。」

イヴ・サン=ローランはかつてそのように発言したことがあります。
時代も、国も、立場も違います。が、サン=ローランも芭蕉もほぼ同じ核心を衝いているのではないでしょうか。

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