キャロルとキルティング

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キャロルは男の子の名前にもありますよね。たとえば、
ルイス・キャロルだとか。ルイス・キャロルは言うまでもなく、『不思議の国のアリス』の作者であります。
ルイス・キャロルは作家としてのペンネイム。本名は、
チャールズ・ラトウイッジ・ドジソン。1832年1月27日に、英国のチェシャー州に生まれています。
チャールズ・ラトウイッジ・ドジソンの本業は、オックスフォード大学の数学教授だったのですね。
1865年に、『不思議の国のアリス』が出版されています。これは1862年に実際にあった話を元にしたものだったのです。
ドジソンは、アリスたち三姉妹と、ボート遊び。ボートに乗って間、アリスたちはドジソンに、「お話をして」。そこで、ドジソンが即席に物語って。それがそもそもの『不思議の国のアリス』のはじまりなのですね。
このボート遊びの時、ドジソンはホワイト・フランネル姿だったそうですが。
ドジソンがオックスフォード大学に入ったのは、1850年のことです。パブリック・スクールの「ラグビー校」から、オックスフォードへ。成績は優秀だったそうです。
1850年頃のオックスフォード大学の生徒数は、約1400名だったと伝えられています。
ドジソンよりも一年ほど若い学生に、ウイリアム・モリスがいました。でも、同じ学校であっても、ドジソンとモリスとが学友であったどうか、定かではありません。
オックスフォード大学でのドジソンは毎朝、早起きだった。朝の礼拝に出て、朝食するに間に合うように。それでいて、午前二時頃までは勉強したという。学生時代のドジソンの睡眠時間はとても短いものだったらしい。

ドジソン、つまりルイス・キャロルは大人になってからも、人見知りする傾向があったとも。ひとつにはキャロルに吃音があったせいかも知れませんが。少なくともドジソンは控えめのお方だったとのことです。

『不思議の国のアリス』が出てくるミステリに、
『箱の中の書類』があります。1930年に、イギリスの作家、ドロシー・L・セイヤーズが発表した物語。

「道を「アリス」の道のように「ぶるっと震えた思うと」、歩いている目の前にはさっき出てきたはずの家の玄関が待っている」

ドロシー・Lセイヤーズは、巧みに『不思議の国のアリス』を引用しているのですが。
また、『箱の中の書類』には、こんな描写も出てきます。

「これはマンティングがよく書き物をするときに着ているキルティングのガウンの袖だと気がついた。」

キルティング。quilting は、刺し子でことですね。ダウンなどを挟んで刺し子にすれば、保温性抜群です。それに、軽い。
どなたかキルティングの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。

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