ブランデーとフェランド

ブランデーは、コニャックのことですよね。
いや、ブランデーのなかにコニャックがある。というべきでしょう。
ブランデーにはコニャックもあれば、アルマニャックもありますからね。
ブランデーは英語。フランスなら、「オオ・ド・ヴィー」でしょうか。「生命の水」。
英語の「ウイスキイ」が、スコットランドの「ウスケボー」(生命の水」)からから出てくるのと、よく似ています。
イギリスであろうとフランスであろうと、エアコンのない時代。身体を温めてくれる「水」はたしかに薬でもあったのでしょうね。
ブランデー brandy は、オランダ語の「ブランデーワイン」(焼いたワイン)から出た言葉。
ワインを蒸留すると、そのエキスとしてのブランデーが生まれるのですから。
ブランデーのアルコール度数、ざっと四十五度前後。これは立派な消毒液でもあります。
ちょっとした傷なら、ブランデーを擦り込んでおくと、治ります。
髭剃り後のアフター・シェイヴにも。
万年筆を使うなら。ブランデーで軸を拭いておくと、清潔です。それに仄かな薫りもよろしくて。

「傳吉が尾張町の洋酒問屋へ奉公せし頃、葡萄酒火酒などの取引より懇意を結び、傳吉淡路町に店を開くとなりたれば、」

明治二十八年に、廣津柳浪が発表した小説『變目傳』に、そのような一節が出てきます。
廣津柳浪は、「火酒」と書いて「ブランデー」のルビを添えているのですが。
ここでの「尾張町」が、今の銀座四丁目あたりであるのは、言うまでもないでしょう。
このことによって。明治二十年代には、銀座に洋酒問屋があったことが窺えるでしょう。
明治四十四年に、詩人の吉井 勇が書いた戯曲に、『午後三時』があります。この中に。

「飲みませう。ブランデエですな。」

これは船の上での話として。船長がブランデーの壜を持って来て。それを「高野朔郎」と二人で飲む場面。
吉井 勇は「ブランデエ」と書いています。
ここからの想像ではありますが。明治末期には、ブランデーは生活のなかに入って来ていたものと思われます。
ブランデーが出てくる『日記』に、『サミュエル・ピープスの日記』があります。

「そして眠る ー 調子はとてもよく、疲れただけだ。ブランデーを一本もって行ったのがよかったのだ ー ときどきひと口やったのが効き目があったと思う。」

1665年8月18日の『日記』に、そのように出ています。
この頃のピープスは旅行中だったので。ピープスもまた、ブランデーは薬だと思っていたのでしょうか。
また『日記』には、こんな話も。

「黒以外のものは着ないと長い間心に決めていたのだが、色つき、絹のフェランド織りを買った。」

1665年6月9日の『日記』に、そのように書いています。これは仕立屋で服を注文した時に。
「フェランド」ferrand は、絹と梳毛糸との交織地。
縦に絹、横にウールを配した布地。
十七世紀は、フランスのフェランドが考案した生地なので、その名前があります。
どなたかフェランドを再現して頂けませんでしょうか。