ヂョーヂは、ジョージのことですよね。むかしの日本人は英語のジョージを「ヂョーヂ」と書くことがあったんだそうです。たとえば。
「英國の博識ジョン・モーレイがヂョーヂ・エリオット女史の著作を評するにいへらく。………………………」。
坪内逍遥が明治十八年に発表した『小説神髄』には、そのように出ています。ジョン・モーレイは「ジョン」と書き、ヂョーヂ・エリオットは「ヂョーヂ」とお書きになっているのです。
「坪内逍遥さん、ジョンとヂョーヂは、どのようにつかい分けていらっしゃるんでしょうか?」
そうも伺いたいところですが、少し遠い所にいらっしゃるようなので。まあ、それはともかく、「ヂョーヂ」の表現があったことは間違いないようですね。
でも、「ヂョーヂ・エリオット女史」には、あるいは頸を傾げるむきがあるかも知れません。「ヂョーヂ」はふつう男の子の名前ですから。
ジョージ・エリオットは、1819年11月22日、英國のウォリック州に生まれています。メアリー・アン・エヴァンズとして。お兄さんの名前が、アイザック。
つまり、ジョージ・エリオットは、メアリー・エヴァンズのペンネイムだったのです。「女史」の表現が正しいのですね。
1857年、メアリーが三十八歳の頃から、「ジョージ・エリオット」の筆名を用いるようになっています。
「ひと目で最もみごとな品とわかるのは、精巧な細工を施した金の台にはめこまれた紫水晶の首飾りと………………」。
ジョージ・エリオットの『ブルック家の長女』の一節がこれです。さすがにアクセサリイの形容など、お手のものですね。男の子ではなかなか難しいところがあるのでしょうが。
えーと、坪内逍遥の話をしていたんですよね。坪内逍遥の評論に、『沙翁劇の新演出』があります。この中に。
「略式夜會服のハムレット、綴れ織りの壁掛けの蔭でなく現代風の窓掛けのそれに隠れるポローニヤス………………」。
この「略式夜會服」の脇には、「ヂンナー・ヂヤケット」のルビが振ってあります。もちろん今の、ディナー・ジャケットに他なりません。
お気に入りのディナー・ジャケットで、シェイクスピア劇を観に行くといたしましょうか。